事実と妄想
個人的には、友達もたくさんいて収入源も潤沢な広島を捨てて(自ら好んで、ね)、不幸だと思う。一般的には。
ただし、やはりこの地に来て感じた事は、、、
・ぬるま湯に浸かっていた
・このストレスフルな環境こそが生きてる心地
・戻ってきた大暴走スピード感
・眼光の鋭さの復活
・毎日のマインドフルネス
・朝起きた時のワクワク感
これらは、得難いものであり、毎日毎日小さく身震いしている状況。
冷静に見るとかなりクレイジー。しかしこのミッションを終えた僕は一体どんな僕になっているだろう?このことしか今は興味がない。
事実と妄想
さて本題の事実と妄想について話したいと思います。
僕の境遇で言えば、事実としては、
・知己がいない場所
・アウェイ
・知らない業種
・知らない方言
・知らない地域
全てが揃っています。
で、どうなの?と聞かれたら??迷わず答える
「最高」
よくない事はたくさんある。いやきっと皆さんが、一時的とは言え僕が捨てたものを数えたらきっとびっくりすると思う。しかし、僕の感想は「最高」なのだ。
コンテンツとコンテキスト
コンテンツとは、実際のものである。
コンテキストとは、それに対する意味合い、意味づけである。
悲しい現実があるから、悲しい?かどうかは、実は受け取り方による。
もっといえば、「広島から離れたい!!」と思っていたとしたら??徳島で待遇がめちゃ良かったら??自分の持てるスキルを活かせたら???実際来てみたらめちゃくちゃ頼られて、環境めちゃ良かったら???
それでも、欠けてるものを数えていたら?どうでしょうか?
・この川の景色は広島のあそこに似てる
・給料は安くても慣れてた
・頼りにされてウザい
・もっと香ばしいところの方がいい
そんなふうに思っていたら??
そう、コンテキストはコンテンツに一定程度は依存するものの、良いコンテンツ=良いコンテキストとなるとは限らないんです。
結局は究極的に、、、
たのしいと思ったらたのしくて、悲しいと思ったら悲しい
思ってる事が全て。ということに帰結します。
楽しいコンテンツでも、本人がつまらんと思ったらつまらんし、悲しいと思ったら悲しい。
脳科学の実験に、苦手なものを食べた後で「おいしい」と発言したら、吸収する栄養価も上がるという研究を昔調べた事があります。
楽しいかどうかではなくて、楽しいと思ってるかどうか
無理やり、「つまらないです」とか、「孤独なんです」を頑張ろうとする人がいますが、それはきっと相当自分を不利にしています。
事実を事実として捉える目
事実を、自分が一番可愛らしくてたまらなくて、傷つけたくない「自分自身」にとって都合の良い解釈をして
戦略的に人生を前に進める
これぞ、NLP的前身だと考えます。
世界の変え方
世界は今日から変えられる。解釈の力で。
今日から私は違うんだ。という、誰にも発言もアウトプットもしなくてもいい、ただの小さな決意だけで、その日から世界は変わる。焦らずとも、令和5年にもし変わった後の私の世界に生きていて、かつ、今より世界がカラフルであれば???
焦る必要なんてない。このいま、まさに、この場所の私は、その未来の私に一本の線で繋がっている。それさえ信じれば、10日かかることを10日かけてしっかりやれるはず。問題なのは、やらなきゃいけないことに追われて、やるべき事に手をつけれていないこと。
世界を変えるには
世界を変えるには、「まーこいつに騙されたらしゃーないわ」という、世界を変えてくれそうな人の手を握って、その人の受け入れられる事を受け入れる事。
間違ってたり騙されたら???
また傷が癒えたら、立ち上がるしかない。
いま、ここから、変えたと思えば変えられる。
人生はいつだって。誰だって。
ゆめゆめ、疑う事なかれ