【129球目】川重OBさん
三陽工業には多くの川崎重工OBの方々が在籍しています。
主に物流ユニット魚住工場に在籍をされていますが、この人達の持っているものがすごいんです。
少し過去を振り返りながら今日はそんなお話を。
始まりは
1番初めに三陽工業に入社して頂いたOBの方は、亡くなった会長と懇意にされていた方でした。
今から40年位前の話です。その人が今の梱包や構内作業の礎を作ってくれました。
小型エンジンの営業出身の方でした。
私も子供のころにお会いしたことがあり、大学生の時はお手紙を頂いた記憶があります。お年玉頂いた記憶もありますね。
その方をYさんと呼びます。
Yさんの後に入社をして頂いたのがSさんです。
このSさんが今の形にしてくれました。
多くのOBさんたちを入社へと導いてくれ、その方々と一緒になって三陽工業のベースを作ってくれました。
私が最初にお会いしたのは25才の時です。
名古屋へ行く前に明石でお会いしました。
当時250名ほどの社員数でしたから、その家族も含めて、
「1000人の生活を背負う責任があれば帰っておいで」と凄まれた(笑)記憶があります。
三陽工業に入社当初も色々と怒られました。
「指導されました」が正しい表現ですかね。
Sさんは、数年前まで会社にいらっしゃいました。
何が凄いかというと、凄まじいスピードで会社が変化しているのを見守ってくださった。
ドンドン変わっていくのをご本人も楽しんでいたような気がします。
そんな方々の協力があって、今の三陽工業は存在しています。
現在は
現在は、現場に在籍しているOBさんたち。
約40年ほど川崎重工に勤務したのちに三陽工業に入社をして頂いています。
車体組立のプロ、小型エンジンのプロ、品質管理のプロ、調達のプロ、元々の所属職場は様々ではありますが、その道のプロが在籍をしてくれています。
OBさん1人1人の技術はもはや言うまでもなく、そこに三陽工業の若い社員が一緒に仕事をすることによって、少しでもその技術面、取組姿勢を盗もうと日々努力を重ねています。
昔のものづくり現場は、これは想像でしかありませんが、今ほどシステムが整っていなかった。
だからこそ、1人がやるべきことも多く、様々なことをやりながら学んでいったのだと思います。
そんなOBさんたちが持っている財産を1人でも多くの社員が、決して真似はできませんが、1つでも多く盗んで身に着けていければこれまた財産になります。
技能伝承。
これからのものづくりには大切なことだと考えています。
そして、いくつになっても元気に働いているOBさんたちに負けないように、若い社員もシンカをしていってもらいたいですね。
学んだこと
1つのことをやり続けること。
とても大切なことです。大きな学びですね。
ただ、そのやり続ける中でも様々な変化があったと思います。
その変化の中で、自身が変化していって数十年の経験を積んで来られた。
とても大きな財産なのではと考えています。
そして、そういった大先輩から若手社員が様々な部分を盗もうとしてくれていること。
これは本人の財産もさることながら会社の財産にもなります。
ありがたいことです。
60代や70代の人と、20代や30代の人が一緒に仕事をする。
いいですよね。
本当にありがたい環境だと感じています。
そして、真面目に一生懸命が成果に繋がる正しい行動であるとも学ばせてくれたOBさんたちに感謝です。
本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。