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noteは見られなくてもいい

おはようございます、さんくです。

いきなり逆張りのタイトルつけましたw釣りであって釣りでありませんw

なぜnoteを書くか、話の着地点を決めないまま思ったことを書きます。

僕は毎日1000文字以上のnoteを1か月半続けてますが、もちろん読者の方に読まれるために書いてます。

フォロワーさんが増えれば、たくさんの人と交流が生まれ、普段出会えないような人達とも繋がるのでワクワクするし、やっぱり嬉しい。

アカウントも成長して、「スキ」や「ビュー」の分母も少しずつ大きくなってきます。

noteを始めた頃は、記事を読んでほしいのはもちろんですが、それよりフォロワーやスキ、ビューの数字を伸ばすために書いてました。

自分なりに良いものが書けた!と思っても、読まなければ(ビューが伸びなければ)意味がないですから。

ただ、1か月半以上書いてきて、数字なんかより数百倍、大切な「書く意味」を見つけました。

それは、自分でも気づきにくい自分を知れること。

そしてもう一つは、心の安定です。

本当にこの二つに尽きます。

自分の書いた記事を俯瞰して見ると、俺って、こんなに悩みや不安に毎日駆られてるんだとか、案外、粘り強いところもあるんだ等、自分の言葉から自分を知ることができます。

コレって、心のみで感じるか視覚で感じるかの違いで、人から注意や指摘を受けたら強烈に刺さるように、noteでも文章から感じて自分を知ることはインパクトがあり、己の心が透けて見えるような気がします。

めっちゃ、「生きるヒントになりそう」と一人でむくむくニヤつきながら書いてますw

そしてもう一つは、なんじゃかんじゃ言って、言葉を発すると精神が安定する。

最悪、記事が誰にも見られなくても、毎日自分の言葉を吐き出して頭を整理することは、どう考えても精神的に気持ちいい。

もちろん人によって最悪な経験、ドン底を記すことは、かなり辛い作業になるかもしれません。

それでも日記みたく、物事を整理し、自分の現状を知ることは、打開策を模索してるような気もします。

noteを続けることでヒントが降りてくるかもしれないし、降りてこないかもしれない。でも何もしなければ何も生まれないのは当たり前のはなし。

自分の答えにたどり着くまで、曲がりくねった迷路のような道かもしれませんが、数を打てばいづれ降りてくるっしょというのが僕の考えです。

そのためにnoteを続けてます。

最後にフォロワーさんの数やスキ、ビューを無視してるわけではないので、コメントなどください。

泣いて喜びます。(泣くのはウソです、喜ぶのは本当です)どうぞ、よろしくお願いします。







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