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ネジひとつ。

ネジが落ちていた。

ついに、外れてしまった頭のネジが視覚的に見えるようになってしまったのかな。
と一瞬本気で思いかけて、

いや、待てよ。
私は今、腰と膝を装具で固められていて、外れちゃいけないネジまみれの生活で、
見逃してしまうかもしれないくらい自然に落ちているこのネジは、本来ここに落ちていていいものではないんだよな。

と、冷静さを取り戻しました。

焦っても仕方ないから、とりあえず落ち着こう。

落ち着くために、
ネジサイドの気持ちを考えてみることにしました。

埋め込まれることを目的として作られたネジ。
生まれながらに約束された自由などないネジ。
そんな囚われの身であるネジ。
ちょっとした緩みから抜け出せるかもしれないという希望を掴んだネジ。
そして、束の間の自由を手に入れたネジ。

ネジのことを応援したくなってきました。

ついでといってはなんですが、
ネジ穴サイドの気持ちについても考えてみました。

ネジがちょうど合うサイズに作られたネジ穴。
自立の二文字はネジ穴にとって無縁とも言える言葉なのでしょう。
あるべきものがそこにあるべきように
ネジがネジ穴に埋め込まれた時の安堵感は何者にも変え難いものだったのでしょう。
そんなネジが緩み始めたことに、ネジ穴は気づいていたけどどうすることもできなかった。
自由を求めて外れていくネジを、ネジ穴はただ黙って見ていることしかできませんでした。
支えであったネジが抜けてしまった虚無感か、
愛するネジが自由を手に入れたことへの祝福か。
その瞬間、ネジ穴が何を思ったのか、私には想像がつきません。

えぇ、なんかこっちは可哀想。

すいません、私はさっきから一体何を言っているのでしょうか。


ネジの自由を再び奪うことが果たして私にできるのでしょうか。
せっかく抜け出して手に入れた自由なのに。

でもネジ穴の孤独感を埋めてあげることは私にはできない。
二つで一つの相棒を失ってしまったというのに。

あぁ、ネジのゲシュタルト崩壊を起こしてしまいそうです。
ネジって、なんだっけ。

そしてさっきから本当に何を言ってるんでしょうか私は。


落ち着こうと思って考え始めたのに、振り回されてしまいました。
結局ネジを元の位置に戻そうにも戻せるプラスドライバーなんて持ってるわけもなく、途方に暮れたままでいたら、
順番を待っていたレントゲン撮影の順番が回ってきてしまいました。

車イスを漕ぎながらレントゲンを撮りに向かいました。
片方の手で車輪を漕ぎ、片方の手でネジをなくさないようにしっかりと掴みながら。

流石にレントゲンを撮る時には持っていられないので、私が最初見つけた時のように、車椅子の上に置いておきました。

レントゲンを撮り終わると、放射線技師さんが車椅子の上にある異物に気付き、「どこのネジ!?」と驚きながら心配してくれ、色々な大きさのプラスドライバーを持ってきてくれました。

あ、そうですよね。
膝にも装具をつけていて腰にもコルセットを巻いている人間の車椅子にネジがあったらそういう反応になりますよね。
私もっと動揺して良かったんじゃない?

事の発端であるネジはコルセットの胸部の金具を留めるため、放射線技師さんの手によってネジ穴へと帰っていきました。

君の自由を守ってあげられなくてごめんな。ネジ。
ネジが帰ってきてよかったね。ネジ穴。
「僕はネジ」と言う題名で絵本が書けそうなくらい、私はネジ達に感情移入をしてしまっている。

私は絶対にコルセットのネジが帰ってきて喜ぶべきなんだけどね。

物事にはたくさんの視点があって、みんなそれぞれの正解を見つけたり、起きた現象を正解するために努力をするんだろうな。

な〜んて、ね。

ネジがなかったら今の私は歩くこともままならない、ネジに感謝しながら今日は眠りにつこうと思います。



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