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第八番 大洞弁財天 長寿院② 「大洞の弁天さん」 井伊家ゆかりの寺社巡り
「井伊家ゆかりの寺社巡り 大洞弁財天 長寿院①」より続きます。
弁財天様
楼門をくぐった先には、弁財天堂があります。
![](https://assets.st-note.com/img/1691995073298-J88iRIW144.jpg?width=1200)
お堂に入ると、ほのかな明るさの中に、弁財天様のお姿が浮かびます。
ふくよかな優しいお顔をされていました。
弁財天の両脇には四天王像などが安置されています。
この日は休日でしたが、堂内には私の他にも参拝者がおられました。
リュックを背負った軽装の若い女性、
お年を召したご夫婦‥。
人々に敬愛されている弁財天様です。
(内部は撮影禁止)
![](https://assets.st-note.com/img/1691995787146-jLVkD5uOiG.jpg?width=1200)
奥の院 宇賀神堂
お堂の裏手にまわると、宇賀神堂があります。
石段下の船着場から、大鳥居・総門・楼門・弁財天堂・宇賀神堂が一直線上に配置されています。
![](https://assets.st-note.com/img/1691996523174-uEkbac1O3M.jpg?width=1200)
うっそうとした木立のなか、鳥居の先に石段が続きます。
登り切った奥に宇賀神堂。周囲はとても静かです。
![](https://assets.st-note.com/img/1691997236152-qMa9VvG14E.jpg?width=1200)
「宇賀神」とは、初めて聞く名前なので調べてみました。
中世以降信仰された神で、人頭蛇身で蜷局(とぐろ)を巻く形で表されるそうです。
宇賀神堂の石段を下りて、阿弥陀堂へ向かいます。
神仏習合が色濃く残っています。
阿弥陀堂 古城主二百三十七人の霊を弔う
![](https://assets.st-note.com/img/1692855527523-ZYechHppK7.jpg?width=1200)
阿弥陀堂
弁天堂と同じく元禄八年に建立され、堂内には本尊阿弥陀如来(伝恵心作)を中心に大日如来、釈迦如来を脇侍として祀られ、彦根藩内領の古城主二百三十七人の霊を弔うため、背面壁に金文字で戒名、俗名を書いて奉納されています。
「彦根藩内領の古城主二百三十七人の霊を弔うため‥」との箇所を読んで驚きました。
「古城主が二百三十七人もいたの⁉」
滋賀はお城の多い地域だと聞いたことがありましたが、これほど多いとは知りませんでした。
そういえば大洞山と連なる佐和山は、石田三成の居城があったところです。
「佐和山城が落ちた時、今いる阿弥陀堂のあたりも戦場だったのかな」と考えてしまいました。
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楼門からの彦根城を撮りたくて、長寿院へは幾度か来たことがありましたが、今回ゆっくりと周らせて頂きました。
知っているようで知らない場所が、まだまだ多いと改めて思いました。
なお、経蔵には「一万躰の大黒天」が祀られているようです。
大黒天の写真などが、彦根商工会議所の「不易流行」に掲載されていますので、ぜひご覧ください。
次はお隣の龍潭寺へ向かいます。
「第八番 長寿院」はここまでです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
住所 彦根市古沢町1139
拝観自由
拝観時間 9:00~16:00