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道草舎➀

MOE HIRAISHI、MISUKZU NAKANOさん2名のアーティストが2人で何かできないかと考え「道草舎」という名前で今回の文フリから活動し始めた。

「文フリで買った本をすべて読みきったことがない」

久しぶりに訪れた文フリは私の知っているものではなかった。人でごった返しており、その空間にいるだけで私をとてもつかれさせた。

人混みは苦手だ。大学進学とともに上京し、今年で10年目になる。上京してからはコミックマーケットやデザインフェスタなど、の同人誌のイベントには何回も訪れた。慣れているはずなのに今回の文フリはどうも何かが違かった。

数年ぶりだからかとも思ったけれど、今回の文フリは初めて来場者数が1万人を超えたとのこと。出店者を見ても同人サークルだけでなく以前は見なかった出版社の公式ブース、出版業界人のサークル、プロのアーティストのブースなんかも増えているように感じた。

ゆったり立ち読みしながら物色するような以前のどこか牧歌的な毛色は薄らぎ、活気に満ち満ちていた。

個人的にあまり覇気のない状態の自分にはどこか羨ましくもあり、ほんのりとげんなりしてしまいそうになる空間でもあった。

それなりの知名度のある方の目ぼしい書籍を買い終え、せっかくの文フリだもの、まったく知らないブースも見ようと歩きだし、すぐに挫折しかかった時に単純になんか気になったブースが道草舎さんだった。

どれだけ人が増えても文フリのいいところは必ず立ち止まった路傍の石に声をかけてくださる出展者の方々が必ずいることだと思う。これはどの同人イベントでもそうかもしれないが、文フリにいる方々は控えめに、相手の様子を見て話しかけてくださる方が多いように思う。そうした佇まいが私にとっては心地よい。

だらだらと脈絡なく書いているが、そうした方々を見て、ふと、そういえば文フリで買った本ちゃんと全部これまで読んでいなかったなと思い至った。久方ぶりに何かを表現しようとする方々と直に話して、端的に言えば学生の時分にちゃんと読まなかったことを後悔したのだ。

仕事をしながら、家事をしながら、大した金にもならない赤字になることだって往々にしてある創作活動を形にしたものを、読む余裕がないと言い訳してちゃんと読んでこなかった。

仕事を休んでいるということもあり、今回本音の言葉と向き合って見ようと筆をとった次第です。

前置きはこの辺にして。つまりは今回の文フリで購入した冊子すべての感想をここに時間がかかっても綴っていこうと思います。

はじめに自分はそうは言っても何事も継続しない人間なので、今回いろんな出展者さんとお話しさせていただいて、特に話せてよかったなと純粋に思えた方々の冊子についてはじめに、勝手に、感想をここに綴らせて頂こうと思います。

  • we love booksと刺繍を施された冊子

Moe Hiraishiさんの誕生日についての雑文、彼女の母との文通の思い出、祖父の遺品のカメラについて計3つの彼女の個人的な文章が3枚。フィルム写真2枚をwe love booksという刺繍で留められた小冊子。

3つとも読んでいて彼女の素直さや人当たりの良さが伝わってくる文章だった。おそらく文字の開き方や句読点の打つ場所などがそう思わせるのだろうが、技術というよりは人柄がそうさせるのだろうという心地よさが内容からも文のリズムからも伝わってくる。

1枚目、これはただの偶然だがHiraishiさんと自分の誕生年と月が同じであり、誕生日についての短文で「あと誕生日が少し早ければね」とあまり親しくもない人間から言われることがあると綴られており、私もまったく同じ体験をしたことがあった。

なんとなく彼女に初対面なのに気やすさを勝手に感じてしまったのはそうした理由からだろう。知らない誰かもどこかで同じ悩みを抱えていたかもしれない。わかっているようでわかっていないことだけれど、文章を読みすすめるにつれてそうした考えに実感が伴ってくる感覚を覚えた。こうした偶然がなくても、誰にでもある「どうあがいても揺るがすことができない自身の人生」を少し肩の荷を下ろして空を見上げる余白をもたらしてくれるようなやはり心地のよい文章。

2枚目、彼女の母についての文章。母との文通と彼女の文通の記憶。文中には彼女が最近観た映画のことも書かれている。何かを見たり聞いたりした瞬間に記憶の柔らかい部分を刺激されるような体験が私にもある。この文章は彼女の大事な記憶を綴ったもので、きっと彼女はこれからもいろんな表現を通して大事なあたたかい記憶と感触を思い出すのだろう。

3枚目、祖父の遺品のカメラで写真を撮ることについての短文。2枚目の文章を読んでいても思ったことだがこの方は大事な想いを忘れずに大切にできる人なのだ。ほんのりうらやましい。誰かの大切な記憶が誰かの大切な記憶を思い出させてくれる。それも表現の素晴らしいことだと私はこの文章を読んで感じた。死者の目で私はものを見たことがあっただろうか。大切な人を忘れてはいないだろうか。忘れていなかったら、べつの人生もあっただろうか。素敵な人の文章を読むといつも想う。

最後に彼女が祖父のフィルムカメラで撮った思しき写真を手にとった。1枚は葉桜に移りゆく桜、もう1枚はぼんやりと夜に浮かんだ東京タワー。きっと彼女の祖父も同じようにシャッターを撮っていたのだろう。ありふれていようが忘れてしまわないようにそっと手で包みたくなるようなそんな感情を覚えた。

長々と書く悪い癖がでている。書いていて、書き手だけに当てた誰が読むわけでもない文章をインターネットの海にながすことは、とても傲慢であるように思えてきてしまった。けれど、それでも誰かの想いを通して考えたことが誰かの想いに繋がることがあると彼女の文章を読んで素直になろうとも思えたのだ。

明日からも1日1文くらいのペースで、何かを綴っていけそうです。

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