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庭には4羽にわとりがいる

裏山の草刈りに追われていた。
本当の意味での「庭」。食べ物や酸素を生み出してくれて、燃料の供給源となってくれる場所。雨水を貯めて、二酸化炭素から酸素を生み出す緑のある場所。そんな場所として、小さな裏山を活用したいと思っていたけれど、週末はほとんど山で草刈りや剪定にあたることになり、でも夏は植物の成長スピードに草刈りの手が追いつかず、蚊は多いは暑いはで立ち入りができなくなってしまう。

草があるならヤギに食べてもらえばいいかと思ったけれど、さすがにお世話が大変そう。にわとりなら、小さい分ハードルが低いかも、ということで、いつか飼えたらいいなーと思っていた。

昭和あるあるだけれど、子どもの頃縁日でよくひよこを見かけた。かわいくピヨピヨ鳴くのを見かけて、ついうっかり買ってしまったことがある。といっても、にわとりではなく、ヒメウズラのひな。
友達はにわとりのメスを、私はヒメウズラのメスを1匹づつ。

私のヒメウズラは、小さかったこともあって、次の日私が学校に行っている間に死んでしまった。今にして思えば温度不足。雛はあたたかくして育ててあげなければいけないことすら、縁日のおじさんは教えてくれなかった。その理由はすぐわかる。

卵を産むめんどりになるはずの友達のひよこはすくすく成長して、コケコッコーと鳴く立派なおんどりになった。当然メスの方がオスよりもだいぶ値段が高かったのだけれど、多分メスもオスもみんなオスだったんだろう。縁日のおじさんは、むしろひよこが育ってくれない方が悪事がばれなくていいはずで、育て方なんて教えてくれるはずがなかった。

すぐ近くの別の家では、チャボを飼っていたし、幼稚園や小学校でもニワトリを飼っていたし、考えてみれば今よりもずっとニワトリは普通にその辺にいたような気がする。

学生時代に出会った、ビル・モリソン氏の「パーマカルチャー」という本がある。この本の中では、ニワトリを畑近くに飼うことで、ニワトリが畑にとって役立つ仕事をいろいろしてくれる、ということが書かれていて興味を持っていた。にわとりは、草や害虫を食べ、足で土を引っ掻いてコンポストの天地返しや畑を耕してくれて、フンは肥料になる、といいことづくめ。

実際、東南アジアの田舎に行った時には、その辺に放し飼いにされているニワトリやブタが、普通にパーマカルチャーな一員になっているのを目撃して、学校で学んだ最先端の技術だと思っていたことが、普通に古くからの生活の知恵として行われていることだと知った。きっと昔の日本でも同じようにニワトリが百姓暮らしの一員であったに違いない。

裏山のある場所は、日本の多くの場所がそうであるように、かつては百姓をいとなむ人々の住んでいる場所だった。そこに住むおばあちゃんは、小さい頃その家でニワトリもヤギもブタもウシも飼っていたという。今もわずかに残された裏山でニワトリを飼ったら、きっとニワトリは草を食べてくれて、卵が手に入るという素敵な暮らしができるであろうと夢見て、ここで鶏を飼いたいと思うようになった。

折しも、近くで庭先養鶏勉強会なるものが開催されると知った。三浦半島の先にある農園が主催していて、「ポストコロナとは庭先養鶏である」と掲げられた主張に同意する人たちは多く、三浦半島で庭先養鶏はちょっとしたブームになっていた。

初めの年はまだ、家族の合意形成ができていなかったこともあって参加を見送ったのだけれど、犬や猫のペットを飼いたいと言っていた子どもたちの間で農場ゲームがブームになっている間にニワトリを飼うことの良さを説いて、飼ってもいいかな、という気持ちにさせてから、翌年の勉強会に子どもたちと参加した。子どもたちもかわいいニワトリを間近に見て、すっかり飼いたい気持ちが高まったので、早速、同じような目的を持った仲間たちとニワトリの共同購入をすることになった。それが去年のこと。

今、うちの庭には4羽のニワトリがいる。これから、そのにわとりたちとの暮らしについて、少しづつ書いていけたらと思う。



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