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やりたくないことと向き合わなければ給料をもらう資格が無いと、本気で思っていた。

こんばんは、こみっとです。

色々と、自分の中で覚悟とか、道が決まってきました。
その中で、新たな気づきがありましたので書きます。


新卒で選んだ仕事は、
絶対にやりたくないし、向いてないと分かっていた営業の仕事でした。

なんで選んだのでしょうか。
当時就活もまともに向き合っておらず、内定が出たのも大学四年の12月でしたので、必然と言われれば必然かもしれませんが。

当時、働くことについて全くイメージができていなかった私は、周りのみんながあの業界に行きたいなどと、
働く前から希望を持てていることが不思議で仕方ありませんでした。

・働くことが怖い(電話も掛けられないし、苦手な人がいたらどうしようのレベル)
・社会人ってなんか凄いのに私がなれるのか自信がない。
・嫌なことを率先して行い、苦しい思いをして常に成長し続けていなければ、お金を稼ぐことは出来ない。

こういう気持ちでした。


自分の長所は忍耐強さと、頑張り続けられることだという
破滅に向かうようなアピールが最適解だと思い、
長所以外の自分の性質とか、持ち味、こだわり、人との関わり方など、まったく考慮することなく、
考慮する以前に、それらの情報をもって仕事探しを行うという発想すらに至っていませんでした。

私の例ですが、
事務職の募集に対して、体育会の部活でリーダーシップを発揮してチーム戦の勝利に貢献しました!と本気でアピールしていました。

今ならそれは間違いだとはっきり分かります。
的外れにも程がありますよね。
集中力があるとか、細やかな配慮ができるとか、報連相ができるとか、
そういったアピールをすべきではありませんかね?
あと、穏やかで居そうとか、容姿端麗とか。。。


今となっては新卒切符を、まがいなりにも一部上場企業の営業職に使用して良かったとは思っています。
電話も慣れましたし、場数も踏みました。
会社、組織というものも知り、社会人としてはまぁまぁ立派になれたと思ってます!!
後悔はありません。


ただ、今でも働くこと=辛いことという方程式はなかなか頭にこびりついて離れません。
確かに、辛いことは必要かもしれませんが、
どうせなら得意分野でつらい経験を出来たほうがいいと思いませんか。

向いてないことに対して辛い思いをし続けることと、
適性のあることの中での辛い思いを比べると、
後者の方が、前向きな経験になると思います。


人生まだ数十年ありますが、
星の数ほど仕事があるのに、向いてない仕事の中で辛い思いをし続けるのは、有意義ではありません。

私の5年間の営業職生活は、
・社会人としての基礎的なスキルを身に着けたこと
・向いてないことが分かったということ
が最大の収穫ですので、無駄ともいえないです。
(なによりも、両親には大学まで卒業させてもらって、それで得られた新卒切符の使い道が無駄だったと思いたくない!)

仕事への合う合わないを考慮しながら
職探しをしようと、そう誓いました。

30歳になる前に気付けて本当によかった。



転職活動頑張ります!!




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