2024/3/25 アートベンチャーエヒメ ひめラー一期生になります/住みやすさと住みにくさ
家に帰ると封筒が届いており、先日面接に行ったアートベンチャーエヒメの選考が通ったとのこと。
愛媛県が東京藝術大学と連携を組み、新たに始めるアートプロジェクト。
アートを介し、人や地域を繋ぐアートコミュニケーション、またその活動の主軸となるアートコミュニケータ"ひめラー"を輩出し、地域の処方箋となる活動を行なっていくプロジェクト。
先の日記でも書いたけど、地域の物語を繋いでいくことに近年は関心があり、地域に携わるプロジェクトを起こしたい&その仲間と出会いたいことと、個人での動きでは入りずらい場所や事柄に、公共を通すことで今まで見えずらかったことも見えてくるかもしれない、との想いを持って応募。
と同時に、公共が行うアートプロジェクトは、はたから見てたら難しさを感じることも多いんだけど、関わってみないと分からないと考えたことも含め。
(松山市が行なっていた"松山ブンカ・ラボ"、その中でもとても良い事業だと思ってたんですけど昨年度で終わってしまいましたね・・・)
周りの応募した友人たちは軒並み選考通らなかったみたいで(20人って結構な狭き門)、現在進行形もこれから含め有望な人ばかりだったので、なんかおっと、って一人とり残されたような気分。
グループ面接受けた方々も面白い人ばかり。彼らはどうだったんだろう。一緒に参加したお母さんが一番切実だったように僕は思って。○○を学びたい、よりもアートに関心があって飛び込んでみた。アート自体がそのような人たちに開かれたものであってほしい。
アートコミュニケータ応募にあたっての文章。
友人も書いていたけど、自分の現在地とこの先に進みたいこと、を整理するにも良い機会。
応募用に少しプロジェクトに寄せた文章ではあるんだけど、
社会的観点に関心が向いていったことの根底にあるのはおそらく、愛媛県を出ていってしまった、少なくない時間、一緒に生きて来た人達のこと。
先日別の場所で話題になったんだけど
「この街って住みやすいよね」議論。
ある一面での住みやすさは確かにあって、そこに対しては納得はする。
でも思い浮かぶのは、挑戦、の意味だけではない理由、住みにくさによって愛媛を離れ都会に出ていった人達のこと。
普通に働き、普通に暮らしていかなければいけない。
知らないこと、私と違うものたちは、自分の世界では起こり得ないこと。
なんとなく根底にそんな空気を感じること。
これまでの様々な活動は、私たちが生きる世界が少しでも住みやすく、生きていきやすくするための生存のための行動の日々でもあって。
人や場所の物語を読み、日常の機微に気づいていく。
人が生きることで起こり続ける良いことも大変なことも丸っと含めていかに面白がっていくことが出来るかを考えていくこと。そんな人達に出会っていくこと。
知らないことって怖いもので。でも、
表現、表現活動や文化活動は、物語は、私が知らない世界の事柄に出会い、面白きを知り、大変さを知り、わたしもあなたも生きる世界を考えていく方法になりうると思っています。
これからも様々なことを観察し、勉強していく、そんな決意表明も込めながらの乱筆文章。楽しみながらは大前提で。
そんなこんなで新たな範囲、愛媛県の文化事業に飛び込んでみようと思います。良い一年になりますように。ひめラー一期生予備軍より。
2024.3.25
夕方、封筒が届いた玄関から