1925年のアルバータ峰初登頂
学習院大学山岳部昭和53年卒 永田秀樹
1925年、日本最初の海外登山隊がカナダに向かった。 当時カナディアン・ロッキー最後の未踏峰として知られたアルバータ峰がその目標だった。 細川護立侯爵の支援を受けた日本山岳会隊で、慶應義塾大学山岳部OBの槇有恒をリーダーに、橋本静一、早川種三、三田幸夫、学習院山岳部OBの岡部長量、波多野正信の6人だった。
一行は、カナダのジャスパーに到着後、コロンビア氷原から流れ出るアサバスカ河をさかのぼって、アルバータ峰に向かった。 カナダ国鉄が登山奨励で招聘していたスイスの山岳ガイド、ハインリッヒ・フーラーとハンス・コーラー、そしてジャン・ウェバーが同行した。 1週間後にハーベルクリークにベースキャンプを設営。 偵察を行い、東面からのアタックを決めた。
7月21日午前3時45分に約2000mのキャンプを出発、最下部の断崖から取り付いた。 午後4時半に頂上山稜に立ち、ナイフエッジのやせ尾根をたどって、北端の最高点に達したのは、午後7時半であった。 頂上西側の露岩に、細川侯爵の「M.T.H.」のイニシャル入りのピッケルを差し、「私たちは遠く日本からこの偉大な山を慕ってきたものである」と記した紙片を入れた空き缶を埋めた。
隊長の槇有恒は、後に「頂上に立った瞬間こそ最も厳かな時ではないでしょうか。 誰も声一つたてませんでした。 万歳の声もなく、ただ黙って手を握りあっただけでした。 しらずしらず私は、涙を浮かべていました」と、記している。
「「アルバータ峰初登頂100周年記念登山」が「桜友会報」に取り上げられました」から
#学習院大学 #学習院高等科 #学習院大学山岳部 #学習院高等科山岳部 #学習院山岳部 #学習院大学あるける同好会 #長野高校山岳部 #学習院山桜会 #山桜会 #大学山岳部 #高校山岳部 #登山 #山であそぶ #山岳部 #山 #自然 #学習院大学 #学習院大学山岳部 #日本山岳会 #日本山岳会学生部 #初登頂 #日本山岳会Youthclub #アルバータ #アルバータ100周年 #細川護立 #槇有恒 #橋本静一 #早川種三 #三田幸夫 #岡部長量 #波多野正信 #秩父宮 #板倉勝宣 #アメリカ山岳会 #カナダ山岳会 #英国山岳会 #昭和天皇 #松方三郎 #棚橋靖 #皇太子殿下 #天皇陛下 #山上耀一郎 #荒川一郎 #芳賀孝郎 #芳賀淳子 #芳野赳夫 #MTH