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おれのほそ道(上)

 「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり、うんぬん…」を実感できるほど齢を重ねたわけでもないが、先日、このワタシも三十歳になった。三十歳、果たして、十年前、二十歳のワタシが、三十歳になった今の自分の姿を想像できていただろうか。もちろん「ノー」である。それはちょうど、十歳になったばかりのワタシが想像していた二十歳のワタシと、二十歳のときの実際のワタシが、大きくかけ離れていた、ように。あるいは、こうも言えるかもしれない。「今日から百日後の晩ごはんの献立を予測できるか?」そう尋ねられて、答えに詰まってしまうのと、結局、同じことである。ああ、未来を見通そうとすることの何といたづらなることか!

 振り返ってみると、私の二十代はおおよそ平凡だった。可もなく不可もない。そう言いたい。が、実際問題、やはり「不可」の方が多かったように思う。しかるに、不可の方が多いというのは、それはそれで、人としてとても自然なことではないか。例えば、算数の問題で「塩80グラムと水20グラムで食塩水を作りました。濃度は何パーセントですか?」みたいな問題があったら不自然極まりない。同じように、「可8割と不可2割」の人生もまた、私にとっては等しく不自然に思われるのだ。食塩水は、「塩20グラムと水80グラム」と決まっている。私の通信簿は、2割の可と8割の不可で埋め尽くされている。

 さて、以下に掲載させていただくは、大学四年生、ワタシの卒業旅行の簡単な記録である。当時、22歳だったワタシは、青春18きっぷを片手に、松尾芭蕉『おくのほそ道』の足跡をたどる、5日間の鉄道旅に出た。青春18きっぷだから、もちろん、在来線のみの鉄道旅である。旅たちに際し、芭蕉は「蜘の古巣をはらひ」たくなったようだが、一方で、三十歳になったワタシは、ふとデスクの引き出しを開けてみたくなったのだ。そのデスクの引き出しの中に眠っていたUSBメモリの、さらにその中の電脳空間に眠っていた拙いwordファイルに加筆・修正したものが、この文章である。ご笑覧を乞いたい。

1日目

上 野  ― 宇都宮線 ― 宇都宮
宇都宮  ― 宇都宮線 ― 黒 磯
黒 磯  ― 東北本線 ― 白 河
白 河  ― 小走り  ― 白河関跡
白河関跡 ― バ ス  ― 白 河
白 河  ― 東北本線 ― 郡 山
郡 山  ― 東北本線 ― 仙 台
仙 台  ― 仙石線  ― 松島海岸
(泊)松島海岸

2015年3月2日の行程

白河の関跡

 午前八時、上野駅を出発し、東北本線を乗り継いで、白河の関を目指す。お昼ごろ、白河駅に到着する。観光案内所を尋ねたところ、白河の関跡ゆきのバスは二時間後の出発で、そのバスで行ってもすぐに帰りの最終バスが出るという。何せ、バスが一日に三往復しかない。

 「歩くことにします!」と言ったら、観光案内所のお兄さんに変な顔されて、「徒歩で二時間かかりますよ…」と言われても絶望しない。道中三分の一のところまでバスに乗り(途中まで行けるバスなら比較的本数があったのだ!)、そこから何もない田舎道を小走りすること一時間、白河の関跡に着く。

 かくいう白河の関は地味だった。誰もいない。近くに店がある。そこにかろうじて人がいる。お土産に手作りの馬の人形を買った。帰りのバスで、

経営難バスの中にはふたりだけ

運転手と私だけの貸切バスである。

(つづく)

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