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「短編小説」 暗々裏

「全部、コロナのせいだ」
空席だらけのホールを眺めながら、店主の須藤 貴樹はため息をついて頭を抱えた。

三年前の開店と同時に、須藤のレストラン「Chouchou」をコロナが襲った。緊急事態宣言、まんぼう、呼び方は変わっても人々が「不要不急」の外出を控えることに変わりはなかった。開店したばかりだった須藤のレストランも、もちろん休業を余儀なくされた。再開しても、一テーブルの収容人数は限られ、透明なアクリル板で区切らなければならなかった。それでも人は、なかなか出歩かなかった。
国が援助してくれた補助金は、家賃や光熱費、アルバイトを含めた従業員四人の人件費などを支払うとあっと言う間に底をついた。当面の間、無利子だと言う銀行融資を受けても、まだ須藤のレストラン「Chouchou」の経営は厳しかった。

せっかくコツコツと貯めた金を元手にレストランを開業したのに、このままでは自己破産しか手立てはないのか…
しかし須藤は、もう40を回っていた。次のチャンスは訪れないだろう。

絶望でにっちもさっちもいかなくなっていた時、突如として店に客が溢れるように入り出した。
須藤はシェフとしての自分の腕には自信があったが、この突然の盛況ぶりに不安を感じた。

何か変だ、おかしい…

連日連夜、店は激混みを続けた。
「お疲れ様でした〜」
ある日、ホール担当のバイトのマリが仕事を終えて帰ろうとしている時に須藤は何気なく聞いてみた。

「俺は料理には自信があるけど、どうしていきなり、こんなに混み始めたんだろうな?マリちゃん、何か知ってるか?」
「えーー!マスター知らなかったんですか?」
マリは背負っていたリュックからスマホを取り出すと須藤に見せた。
「暗々裏のおかげですよ」
其処には日本版ミシュランを気取った「暗々裏」と名付けられたグルメサイトがあった。
「ほら、ここ!」
金髪のおかっぱの下の眼を輝かせてマリが一箇所を指差した。
「あっ」
須藤の眼に映ったのは、「洋食」部門で1位を獲得した「Chouchou」の名前だった。

「私、彼の歯に衣着せぬ評価のファンで、いっつも参考にしてお店選びしてるんですぅ~」

『須藤シェフが作り出すパスタの味も絶品だが、一度この店のハンバーグを食べてみて欲しい……』

なんだ、これは…
べた褒めじゃないか
今時珍しい職人気質の須藤だが、誉められて悪い気はしなかった。
しかし、いつ来たんだろう?
パスタとハンバーグ?
伝票で調べてみようか?
そんな事を思ったが、連日の盛況ぶりで疲れていた。それに明日もまた忙しいはずだ。
「ありがとう、マリちゃん。理由が分かってスッキリしたよ」
「どういたしまして」
マリはおかっぱの髪を揺らしながら、軽快な足取りで帰って行った。

須藤は自宅に戻ると売上伝票をパソコンに入力するのが毎日の日課だった。
珈琲を煎れて、いつものようにノートパソコンを立ち上げると、やはりさっきのマリとの会話が気にかかった。
「あんあんり、か…」
検索をかけると『暗々裏』のサイトは直ぐに引っかかった。「Chouchou」のところだけを読み進めるとコメント欄でも称賛の嵐だった。
自分が誉められると言うのは、長年シェフをしていても嬉しいものだ。

「これはいいぞ!このままいけば、借金完済も見えてきたな…」
須藤は蓄えた口ひげを人差し指で擦るとにやりと笑った。
「暗々裏、様々だな〜。それにしても『あんあんり』ってどう言う意味なんだ?」
パソコンを開いたままスマホに『暗々裏』と打った。

「人の知らないうちに。密かに事が行われる…か」

須藤は心の中で『暗々裏』と言うサイトに感謝をするといつものように売上を打ち込む為にエクセルに移動した。

それから次の日も、また次の日も…
「Chouchou」は快進撃を続けた。その月の売上は開店以来の最高額に達した。
「ネットの力って凄いんだな…」
店が軌道に乗ると心にも余裕が生まれてくる。須藤は、「暗々裏」のサイトを毎日覗くのが日課になっていった。

「うん?この日も、この日も来ている?」

日替わりランチの写真が度々投稿されている。
どうやら、『暗々裏』は年中須藤の店に来店していることに気付くのに時間はかからなかった。

「いったい、どんな人物なんだろう?」

人間とは不思議なものだ。
「見るな!」
と言われると見てみたい…
いつしか須藤は「鶴の恩返し」で機織りをする鶴の姿を覗いてしまったお爺さんとお婆さんのような気持ちになっていた。誰も正体を知らない「暗々裏」と名乗る人物を知ってみたい。
「それに一言くらい、お礼を言ったっていいよな…」
この日から須藤は厨房から、それらしい人物を見つけることばかりに熱中していった。

「あいつかな?それとも…」

「マスター、オーダー急いでください!お客様がずっとお待ちで怒っています!」
バイトのマリがお客の苦情を浴びて懇願の声を上げた。

「あ、ごめんごめん」

料理とは不思議なものだ。同じ材料、同じレシピで作っていても火の加減やタイミングで全く違う味が出来上がってしまう。何十年もシェフをしていた須藤も、その例外ではなかった。

『暗々裏で言ってるほど美味しくなかったです!』
『お料理が出てくるまで時間がかかる』
『この味で洋食部門1位?』

『暗々裏』のサイト自体は相変わらず「Chouchou」を誉めちぎっていたが、コメント欄には批判が並ぶようになった。
それでも須藤は、とり憑かれたようにチラチラと厨房からホールのお客を覗き見して『暗々裏』を探し続けた。

そんな或る日、ベージュのコートも脱がないままで帽子を目深に被った一人の中年男が須藤の目に止まった。

「あの男!?」

そう思った瞬間に男が「今日のランチ」をスマホで撮影し始めた。

「間違いない!」

須藤の勘が、あの男が探し求めた『暗々裏』だと告げていた。ランチを食べ終わり勘定を済ませて店を出て行く男を須藤は厨房から走り出して追い駆けていた。

「マスター!!」
マリの叫ぶ声が、後ろから聞こえたような気がした。

「あの…すみません」
須藤がベージュのコートの肩を掴むと、ゆっくりと男は振り返った。

「あっ」

そこには須藤と同じ顔が嗤っていた。
「暗々裏だって言っただろう」 

俺?
俺だったのか?暗々裏は…


「マスター!!」
悲鳴を上げるマリの前で須藤はフライパンがらエプロンに燃え移った炎に包まれていった。

「ドッペルゲンガー?いや、どっちが本物の俺だったんだ…」



山根あきらさんの企画に今回も参加させて頂きます。「暗々裏」初めて知りました。難しかったです。
よろしくお願いしますm(__)m












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