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植物人間の妻 2 予兆【連載 記憶の記録】


話は前日に遡る。

2020年12月19日 
いつもよりも伸びた髪を切りに私は久しぶりに美容院に行った。
この美容院も夫が上水道の図面を私が下水道の図面を引いて施工した所だった。

「旦那さん、相変わらず元気?」
「あの人は、いつも元気だよ〜(笑)」
「そうだよね~、明るいマッチョだもんね(笑)」
長い付き合いの同世代の男性の美容師さんは、私達夫婦二人の髪をずっと切ってくれていた。

「じゃあ、今日は旦那さんをビックリさせよう!」
美容師さんは、出来上がった私のストレートの髪をヘアアイロンで、まるでパーティーに行くみたいにクルクルにカールしてくれた。
手鏡を私の手に渡し、後姿が見える角度に持たせてくれた。

「どう?いつもお世話になってるから、サービス!」
「可愛い!!いいの?」
「いいさ!」

素敵な髪型になって私はご機嫌だった。そのままスーパーによると夫の大好きなイルカが入っていた。
(そうだ!毎日仕事で疲れてるから、今日は大好きなイルカ煮を作ってあげよう!)
イルカは煮込む前に丁寧に二回、下茹でをしてアクを取る。それでも煮込み始めるとどんなに換気扇を回しても、家中に強烈な匂いが蔓延してしまう。
だから夫の大好物だが、今まで特別な日にしか作ってあげなかった。

買い物を済ませて、家に戻ると同居している父が、なにやらニコニコと私に箱を差し出した。
「ほら、プレゼント!開けてみて」
「なぁ~に?突然?」
細長い箱の中には光ファイバーのクリスマスツリーが入っていた。
「わぁ~、我が家にもクリスマスが来たね、ありがとう、お父さん」

両親は楽しそうに二人でクリスマスツリーを組み立てている。私はイルカ煮を作る。

「ねぇ、今日子、何処に飾ろうか?」
「うーん、〇〇君が帰って来た時に直ぐに気付くように、そこ!」

私はお鍋をかき回しているオタマで、玄関の前の飾り棚を差した。
「もう点けておこうか?」
「うん!」

愛犬のゴンがクルクルと色を変えて光るクリスマスツリーを不思議そうに見上げて居る。この仔は、夕方になると玄関前のマットに居て、いつも夫の帰りを待つのが習慣だ。

「ただいま〜〜」

いつもより一時間近くも早く夫が帰って来た。忙しいって言ってたのに少し不思議だった。
「あれ?早いね?」
「何か、調子悪いんだよね~、風邪かな~?」
「えー、悪い風邪流行ってるから気を付けてよ」
「大丈夫、大丈夫、飲んで寝れば治るさ(笑)」

そんな事を言いながらも、足元でちぎれんばかりに尻尾を振っているゴンと日課の散歩に出掛けて行った。

散歩から戻ると夫は直ぐに光っているクリスマスツリーに目を止めた。
「お!クリスマスツリーじゃん!どうしたの?」
「お父さんが買ってくれたの」
「いや〜、ありがとうございます、お義父さん。家にもクリスマスが来たな〜、綺麗だな~、うん!綺麗だ」

何度も繰り返して眺めていた、まるでその目に焼き付けるように…

継母と私の料理が出来上がり、居間のテーブル代わりのコタツの上に並んだ。師走の晩に温かい料理が湯気を上げている。

「いただきまーす」

あれ?気付かない?

私は初めて疑問を抱いた。結婚して十五年、夫は私が髪を切った時、いつも真っ先に気が付いて誉めてくれた。今まで一度も見逃した事はなかった。
おかしい…
何かおかしい…
「ねぇ、今日私、美容院行ったんだけど…」
「えっ?」
「こんなにクルクルしてるのに気付かない?」
夫は目を細めて、暫く、じっと私を見ている。
「ごめん、ごめん。可愛いよ〜」

本当に些細で見逃すような事だ。
でもあの時、既に夫の脳の中では何か大変な事が起こっていたに違いなかった。
光り動くクリスマスツリーは見えても、私の髪はハッキリと見えていなかった…視野が狭くなっていた。
でも、当時の私はそれに気付いてあげられなかった。


夫は相変わらず雄弁で、仕事の話を面白可笑しく皆に語った。そこへ長い間ホワイトカラーの世界に居た父が、色々な質問をして口を挿む。

「〇〇君、おかわりするでしょ?」
継母が夫の三分の一位に減ったグラスを指差す。
「お母さんね、〇〇君好みのハイボール作れるようになったのよ」
継母はサントリーのロンググラスに氷をいっぱい詰め込んで角のボトルを注ぐと冷たい炭酸を入れた。
カラン、カラン
冷たい汗をかいたグラスの中で氷が音を立てて回る。
継母は私の夫の為に毎日、沢山の氷を作っていた。

「はい!お母さんスペシャル!」
「ありがとうございますっ!」

でも私は気付いていた。
ウィスキーを飲むペースが遅い。
いつもなら、もうとっくに三杯は飲んでいるはずだ。
やっぱり風邪かしら?

「ねぇ、イルカ煮のおかわりは?」
「うーん…じゃあ、もう一杯だけ」
「えっ?今日の美味しくなかった?」
「美味しいよ、美味しいけど今日は何か食べられない。ごめん、明日必ず食べるから」

えっ、いつもだったら一鍋食べそうな勢いのこの人が、たった二杯?
食欲旺盛で酒豪の夫が、おかしい。
でも目の前で楽しそうに笑いころげて居る。
気のせい?

ほんのちょっと、普段とほんのちょっとだけの異変はあった。
妻が美容院に行った事に気付かない、ハイボールが二杯しか飲めない、大好きなイルカ煮が二杯しか食べられない……
でもそれだけで夫があんな事になるなんて、誰が予測出来ただろう?
あの日の私は、いつも帰りの遅い夫が早く帰って来てくれた事が嬉しかった。ぬるま湯のような幸せにどっぷりと浸って、小さな小さな予兆に自ら、目を瞑っていたのかもしれない。

タイムトラベルが出来たなら、あの日に戻って私は私に言いたい!!
「直ぐに病院へ連れて行け!」

その夜はそのまま何事もなく過ぎ、そして朝を迎えたのだった。
















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