「私が代わりに殺してあげる」スズムラさんへの想い♡
毎日、私が記事を書く以外に、このnoteで実行している事がある。
それは
「みつける」機能に、スズムラと打ち込んで、ちゃんとこの街にまだ住んでいてくれるかを確認すること。
大好きで人気noterのスズさんが、お休みに入ってから2ヶ月が経つ。その間に上がった記事は1月前に一つ。
だから、まだ長期休暇と言うほどではないけど、スズさんは多作だったからか、とても長く感じられる(泣)
スズさんと出逢うきっかけになったのは、人気noterで現在 創作大賞の中間審査を通過している青豆ノノさんの存在が大きい(ノノさん!!本当におめでとう㊗️)
↑たまたま今、落ち込んでる?
ここから、ちょっと話が逸れます。
私が思う創作とは、妄想を文章にしたモノ。
エッセイは実体験に基づいて書く物だが、「小説」は脳で考えた事を書く物だと私は思っている。
だから、人を殺していないのに「殺人者」の気持ちを書けるのか?と問うのはナンセンスだ。
自分が思い描いた人物像なのだから、書けるに決まっている。
小説の中で、私は今まで何人の罪もない人達を殺害してきたことだろう?でも、それは物語を書く上で必要だったと思っている。
因みに人気作家 北方謙三は、好きな漢を小説の中で殺す度に、行きつけのスナックに出向き、「供養だ!」と酒を煽って泣いたそうだ。
スズさんはnote事務局から注意を何度も受けるほど過激な文章や画像を描いていた。
でも私は、それを芸術だと思っていた。
そして、沢山の他のnoterさん達からも慕われていた。それは残酷な作品だけではなくて、コメントの交流や他の作品で、スズさんの優しさが伝わっていたからだと思う。
ここで断言させてください。
私はスズムラさんが帰ってきてくれるまで、ずっと小説の中で殺し続けます(苦笑)
もちろん「創作」の中でだけです(笑)
それから、こんな懐かしい記事を見つけました。↓理生さんが「昔の名前で出ています」←古っ(笑)
今度書いたら、もっともっと多くの人を登場させられると思うのにな。主役のお帰りをお待ちしています。
余談ですが、どんなに殺人を犯しても、私は私の作品を愛しています。だから、リアル生活のストレスや鬱憤、妬み、嫉妬などの醜い感情を小説に寄せて描く事はしません。あくまでも「小説」は私の妄想が作り上げたものです。真の悲しみや辛さはエッセイで、吐き出します(苦笑)小説に八つ当たりはしません。
ねぇ、スズさん、だから待ってるよ。
↑ 私のヘンテコな殺人事件記事へ返信として、創作してくれたスズさんの作品です。
まだまだワクワクは止まらない。