「戯れ言」〜逃げる〜今昔
私の子供の頃は「逃げる」と言う言葉は、どちらかと言うと悪者扱いだったと思う。
そもそも「逃げる」を検索すると、このように出てくる。
逃げる…
①捕まらないように追って来るものの力が及ばないところへ身をおく
例「犯人は盗難車で逃げたらしい」
②自由の利かないところ、危険なところから去る
例「ライオンが檻から逃げる」
③面倒な事、嫌な事から積極的に遠ざかろうとする。直面するのを回避する
例「やっかいな仕事から逃げる」
④運動競技で首位を行く者が、継続する者から追いつかれないで勝つ
例「タイトルホルダーが先行したままゴールを切る」
⑤身体が望ましい構えから後方へ引いた状態になる
例「腰が逃げている」
⑥室内、容器の中の気体や味などが、そのまま保たれないで外へ出てしまう
例「熱が逃げる」
どうだろう?
②と④を抜かして悪い意味で使われていないだろうか?
例えば
「喧嘩」をした時に優勢な者は劣勢な者に
「逃げるのか、卑怯者!」
と言う。テレビドラマ等でも、このセリフはよく使われて来たと思う。
星野源と新垣結衣の結婚のきっかけになったテレビドラマの題名は「逃げるは恥だが役に立つ」だ。
日本人は昔は「逃げる」を卑怯や恥なものだと捉えていた文化じゃなかったのかな。
でも、2024年元旦、
私は何回も何十回も、この「逃げる」と言う言葉を聞いた。
「恥」だという潜在意識を持ってはいけない。「卑怯」なんかじゃない。
自然災害だけじゃない。2日に起きた全日空と海上保安庁の追突事故も立派に「逃げる」事が出来たから命が救われたんだ。
現在は「毒親から逃げる」と言う例文も存在する。
「逃げる」は今では、立派な自分を守る正義だと私は思う。
地震の津波からや火事からだけじゃない、事故だけじゃない。
心が辛くなった時、其処から「逃げる」事は、決して恥じゃない世界にしていかなくちゃいけないんじゃないかな?
ふと「逃げる」について考えてみた午後。
地震の時に大切なご先祖様や貴重品、思い出の品を置いて逃げる事を躊躇してしまった人々や後悔している人々。
ブラック企業から去った人々、学校での虐めに耐えきれなくて行けなくなった子ども達……。
逃げる事は決して「恥」でも「卑怯者」でもない。悔やんだりしないで、今の時代は「逃げる」事は立派な正義だと伝えていきたいね。