「エッセイ」死ぬ権利は分かるが殺す権利は分からない
昨日の夕方、悲しいニュースが飛び込んできた。
静岡県 富士宮市の脳科学研究所病院で73歳の男が、72歳の妻と40歳の娘を刺殺した後に自分も自殺した。その後の調べで男の長女は20年前に倒れて入院生活を送っていたそうだ。妻が倒れたのは半年前…
詳しい事情は、分かっていない。
男の心も分からない。
だから私の経験を書きたいと思う。
くも膜下出血で植物人間になった主人も3ヶ月が経過すると次の「回復期」の病院へ移動しなければならなかった。
そこは、とても明るくて「リハビリ」に力を入れている良い病院だったと私は未だに感謝している。
ある日、リハビリ室で顔見知りになった奥さんと話をした。
「早く良くなるといいですね~」
今、思えば奥さんは少し暗い顔をしていたかもしれない。
「一緒に頑張りましょうね」
「ええ……」
能天気な私は励ますつもりで声を掛けたつもりだった。だって私の主人より酷い重症患者は誰も居なかったから。
私の不注意なこの一言が、遠回しに奥さんを傷付けていたと知るのはずっと後の事だった。
暫くすると奥さんは来なくなった。一週間が過ぎた頃、私は仲の良い看護師さんに尋ねた、
「〇〇さんの奥さん、最近来ないけど、お仕事が忙しいの?」
「……それは…言えないの」
「ん?」
後に奥さんは、離婚してご主人の元を去ったと知った。一人、二人、三人……
リハビリ室で仲良くなった奥さん達は、皆そっと消えていった。
脳障害を患うと「性格」まで変わる事はよくある。でも「回復期」の病院だ。まだ、たった3ヶ月じゃないか!?当時の私には理解出来なかった。今なら分かる。離れて行く決断をする方の辛さも…
私は毎日毎日、病院に通っていた。
ある日、副医院長が話があるからと相談室に呼ばれた。私一人かと思ったら、担当のリハビリ師さんが何人か周りを囲んでいた。
「奥さん、旦那さんが治ると思うてはる?」
「はっ?」
「だから、明日病院に来たら新聞広げて、ベッドの上に座って笑ってると思うてはる?」
「そんなことは思ってませんけど…」
何が言いたいんだ。この医師は…
「はっきり言って奇跡なんて起こりませんよ」
「あの、毎日少しづつでも良くなってくれれば」
「そんな事は考ええんと奥さんは次の人生を歩みはったら?」
何か、もっと酷いことを言われたと思うが覚えていない。今まで医療関係者だけは味方だと思っていた。暫くじっと話を聞いていたが、私の嗚咽は号泣に変わり部屋を飛び出していた。
仲の良いリハビリの先生が私を追いかけて来た。
「ごめんなさい、ごめんなさい。違うんです。皆で話し合って副医院長が憎まれ役を引き受けてくれたんです」
「……」
どういう事なのか、泣いててさっぱり分からない。
『奥さん自身の人生を大切にするようにって』
そんなような事を言われた気がする。
何言ってるんだ?この人達?
次の人生?重症患者の主人を捨てて?
バカじゃないのか?!
「いいんです、いいんです。もう忘れてください」
あの日の出来事は忘れたくても忘れられない。
それから副医院長の姿を見かけると私は隠れるようになった。
そんな酷いアドバイスをしたのは私にだけだったと転院する際にケアマネさんから聞いた。
それだけ主人の病状は悪かったのだろう。
でも、私の介護生活はたった七年半だった。
今日の男、いや父親は20年間自分の娘を妻と看てきたのだろう、そして妻も同じように脳障害を患った。
人を殺す事には、もちろん同意しない。
でもお嬢さんは20歳の頃から入院生活を送って来たという。人間として女性として一番輝ける年代を…。回復の兆しはあったのだろうか?
自分で自分の最期を決める決断能力は?
日本には「安楽死」という制度はない。
もし仮にあったとしても、賛成も反対も出来ない。
ただ、このケースの場合そういう何か方法があったら、父親を殺人犯にしないでも済んだのではないかな、と考えてしまった。
悲しい痛ましい事件だった。
三人のご冥福を心からお祈りします。