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「映画感想」破壊
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原作は、1905年に紀行された島崎藤村「破壊」
監督 前田和男
脚本 加藤正人 木田紀生
キャスト
瀬川丑松 間宮祥太朗
志保 石井杏奈
銀之助 矢本悠馬
猪子廉太郎 眞島秀和
【あらすじ】
「穢多」と呼ばれる被差別部落出身の瀬川丑松(間宮祥太朗)は自らの出目を隠すよう亡き父から強く戒められていた。
丑松は身分を隠し地元から離れた場所にある小学校の教員職に就く。教師としては生徒に慕われながらも、出自を隠すため誰にも心を許せないことに苦しむ。一方で下宿先の士族出身の女性・志保(石井杏奈)に恋心を寄せる。
やがて、彼の出自について周囲が疑念を抱き始める中、丑松は被差別部落出身の思想家・猪子蓮太郎(眞島秀和)に心酔していく。
【感想】
被差別部落と言うものが日本に存在することは、中学校あたりで習ったと記憶している。日本に身分制度があった事は知識としてはあったが、現実感はなかった。
冒頭、富豪であるのに「穢多」である事がバレた老人が旅館を追い出されるシーンは非情だ。町民から石をなげつけられ、旅館の女将は「畳替え」をすると言って、塩を撒く。
汚い?同じ人間なのに?同じ日本人なのに…
間宮祥太朗が気品があって美し過ぎるために余計、不思議でならない。現実味を帯びてこない。
時代は明治時代で、もう既に身分制度は廃止された後の物語だ。
それでも人は差別する。
「差別」による虐めは、人間の根本にあるものなのだろうか。そう言えば、この時代にはまだ女性には選挙権がなかった。与謝野晶子が戦地に向かう弟に「君死ニタマフ事ナカレ」と謳った時代だ。
丑松は生徒達に
「人間とは本来、平和を望むものです」
と説く。
本当にそうなのだろうか。それは理想であって、現代でも戦争は無くならないし、虐めは更にエスカレートしているように私には思える。
静かに淡々と流れていく物語だが、色々な感情が湧いてきて考えさせられる。
穢多である丑松は恋をしても、士族出身の志保とは結婚も出来ない?
丑松の苦しみや悲しみは、私には到底理解出来ないが、この物語は人間の根底に潜む邪悪なものを露呈し、批判しているのではないかと思う。
折しも「東京都知事選」で、首都 東京が湧いている今日、現職と対抗と呼ばれる立候補者が女性や若者に関する主張をしているが、私は思う。
「そんなことを女は望んではいない」
と。
あぁ、話が横道に逸れ過ぎた。
もう少し「穢多」の事を調べてから、感想を書けば良かったと反省している。
知識ないままに観てしまった映画だが、ラストで丑松の同僚、銀之助に全てもっていかれた。
銀之助も本当は志保が好きだったのではないか?
と感じたが、彼は良い奴で、そんなことはおくびにも出さなかった。
銀之助役の矢本悠馬と言う俳優を全く知らなかったが(イケメンじゃないから 笑)一番良かったと思う。
原作とは違うラストに少しだけ希望を見た。
それにしても、カタチは変わっても「差別」や「虐め」は現代も変わっていない。愚かしい人間の一員として、今日もまた生きてみよう。
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幸せは自分の心が感じるもの、心で創り出したとしても、それは幸せなんじゃないかと思う。
甘々かな?私
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