算命学余話 #R77「『共同の創造』との比較」/バックナンバー
ウラジーミル・メグレ著『アナスタシア』シリーズが面白い。読めば読むほど合点がいき、且つ算命学の神髄とする本質論に非常に近い世界観が見て取れる。正しい子育てや理想的な男女関係を模索されている方はとりあえず読んでみて、心に響くものがあったら是非実行して下さい。決して損はありません。
子育てというと「育児」という限られた家庭及び期間限定のテーマに聞こえますが、この作品は自らの過ちに気付かないまま老年に達してしまった人々にも救済策を示しています。というよりそもそも世代別の対処法ではなく、人間の営みが連綿と受け継がれていくことを前提に話が展開するので、普遍的に親が子へ与えるべき手本とは何か、そうすることでどれほどの問題が解決へ向かうのか、そういう処方が万人に向けて掲げられております。
とはいえ、この作品を読んだ万人が己れの非を認めて方針転換するかといえば、そんな人はほんの僅かかもしれません。その証拠とばかりに、第四巻『共同の創造』にはこんな文章が綴られています。
――美しさと共鳴するためには、自分自身の内に同じものを持っていなければならない。
つまりどんなに正しい解決策だろうと、金言だろうと、受け取る人間がそれを理解するレベルに達していなければ何の役にも立たない、ということです。どうですか、前々回の余話で「恋愛は低級か」と嘯かれて気分を害された皆さん。あなたの恋が実らないのは、あなたが追い求める恋愛対象ほどには、あなたが美しくも賢くもないからだということに、多分あなたの本能は気付いているはずですが、あなた自身はどうしても認めたくない、だから堂々巡りをしている、ということをいい加減自覚しませんか。
そして、当方の運勢鑑定を受けて逆ギレされた少数の方。当方は誠心誠意で最善策を提示しているのですが、それを受け入れられないのはあなたの問題であり、こちらの責任ではありません。さほど難しくもない解決策を、難しくてとても採用できないと思うのは、あなたのオツムが弱くて簡単な判断もできないからであり、あなたの半生が幼稚で、物事に対して責任を以って対処する経験を怠ったことによるツケなのです。
『共同の創造』には、そうした内面の美しさや賢さを磨けぬまま人生を終えつつある老人もまだ手遅れではない、と改善を促しています。詳しくは本編を読んで頂くとして、ここにはいくつかの気になる部分だけを読みやすく簡略して抜き書きしておきます。抜粋だけだと語弊が生じるかもしれないので、興味のある方、また算命学の技術を上げたい学習者は、是非本編を一巻からじっくり読んで下さい。陰陽論の反映がよく見受けられます。
(1)偽りやまやかしは長く存続できない。魂がそれを受け入れないから。それゆえに多種多様な教義や思想が人々に投じられている。偽りは(長続きしないがために)常に新しくなければならず、目新しさ、新奇な見せかけを必要とするもの。人類が社会構造を次々と変えていくのはそのためだ。そうやって失われた真理をそこに探し求めながら、却って真理から遠く離れていく。
(2)嘘には常に限界がある。しかし真理は無限だ。真理はひとつであり、常に人間の魂の自覚の内にある。
(3)相反するエネルギーたちを、まずは自身の内で調和させること。確信のエネルギーもある。確信と疑念。これらが等しい時、未来の創造が正確で美しくあるための助けになる。
(4)(掃除機や洗濯機といった)人工物による労苦の軽減は、錯覚に過ぎない。人間はそれらの対価として日々人生を短くし、苦しまなくてはならなくなった。魂を宿さない物体を手に入れるために、好きでもない仕事に一生、奴隷のように従事しなければならない。周囲を取り囲む魂の無い物質が増えていくことは、大宇宙における人間の存在意味に対する無理解のレベルを表する尺度なのだ。周囲をよく見れば、一連の機械や道具を手に入れるために、工場が建てられ、死をもたらす悪臭を放ち、水は死んでしまった。人間はそんな不要な道具を手に入れるために、自分の一生を歓びの伴わない仕事に費やさなければならない。物が人間にではなく、人間が物に仕えているのだ。
(5)現代人の墓は、便所に似ている。誰にも必要のないものを捨てるための。このような場所に親を葬る子供や、親を忘れて家を去っていく子供に責任はない。なぜなら彼らは親の嘘、そして行き場のない自身の希求を、直感的に察知して家を出るのだから。弔いは儀式を通じてではなく、心からの誠意によって行うべきだ。
(6)悲しいことに、現代は人がわが子の教育を他人に任せてしまうことが習慣になっている。どこかの誰かの教えがどのような世界観を子供に注ぎ込むのか、子供にどんな運命をもたらすのか知りもしないで、自らが知らないものを自分の子供に与え、自ら子供を失っている。そういう子供たちは母親を忘れる。自分の子供を他人に与えて教育を放棄した母親を、成人した子供が見向きもしなくなるのは当然のことだ。
仏教用語に「因果応報」というのがありますが、これを単純な道徳に結びつけるのではなく、陰陽論的に理解した方が鑑定の助けになります。上述の抜粋は、その理解を促進するものを集めました。この作品にはもっと重要なテーマもあるのですが、それは別の機会に紹介しましょう。
今回の余話は、この『共同の創造』の上述の抜粋の、算命学的解釈になります。既に(1)~(6)を読んでピンときた方には、重複になるので購読不要です。ピンと来なかった方向けの噛み砕いた解説に過ぎませんので、ご了承下さい。
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