聴覚障害のあるわたしの、ことばたちとの付き合い方 episode1
その日、いつも通り職場の会議に手話通訳の方が来ていた。議事が進んでいく中、わたしは資料と手話通訳を交互に見ながら内容を理解していく。そして、わたしが発言するタイミングがきた。
いつもだったら手話で読み上げて、通訳の方がそれを見て音声通訳をしてくれる。「会議に手話通訳が欲しい!」と要望して通訳に予算をつけてもらうからには、わたしの思考は手話モードでいなければいけない、そう無意識に感じていたから。
でも、この日は報告しないといけないことがいっぱいありすぎて、そのどれもを日本語から手話に切り替えて理解しきれていなかった。そしてわたしは、無意識に音声で自分の報告内容を読み上げ始めた。
わたしが話し始めた瞬間、通訳の方が困惑した表情をしているのが見えた。いつものよう手話だけで話し始めるのを読み取って、音声に通訳するつもりだったからだろう。
たまにわたしが声も使いながら手話をしていると、その声に重ねて音声通訳をしてくれる通訳の方もいらっしゃる。声が二重になるときっとみんなききとりずらいだろうし、この読み取りをしてもらうためにも予算を使っているんだよな……なんてことを考え出したらなんとなく申し訳なくなって声を切って手話だけで話す。
でも、わたしが声だけで話し始めたのを見て、周りがなんの疑問ももたずにその声をききとっている様子を見て、彼女たちはそっと見守ってくれた。資料にもほぼ同じ内容を記載していたし、職場のみんなもこの数年でわたしの声を聞き慣れたのであろう。結局その発言は音声のみで進んでいき、また別の人が話し始めるとその声を通訳の方が手話に通訳してくれて、わたしはそれと資料を交互に見ながら理解していった。
わたしの頭の中には、おそらく、二つの言語が存在している。
ひとつは、日本語。会社員の父と専業主婦の母のいるわたしは、「右耳が全くきこえない」ということ以外は割と特別なことはなく、自宅から一番近い国立小学校、公立の中学校、自称進学校の私立高校、地方の国立大学と大学院を経てオトナになった。
「右耳が全くきこえない」ということは、もしかしたら特別なことなのかもしれない。でも、少なくとも大学に入って聴覚障害のある友達ができて手話ができるようになるまでは、本当に「視力が悪い」くらいの特別さしかないと思って生きてきた。
そんなわけで、わたしの母語は日本語だ。ジューススタンドで「みかんジュースください」って言ったのにスイカジュースを差し出される程度には滑舌が悪い(ある人いわく、『舌ったらず』らしい)けれど、音声をききとって、音声で自分の気持ちを伝えて生きてきた。
そしてもうひとつが、その、手話だ。わたしが手話を始めたのは今からちょうど10年前の今頃、高校を卒業するくらいの時期だった。大学への進学が決まり、その入試で出会った同じ聴覚障害のある女の子と入学後に話をしたいと思ったからだ。
というのも、高校2年生くらいから聴力が徐々に低下していたわたしは、英語のリスニングテストをはじめとする「ききとること」に何となく限界を感じていた。そんなタイミングで志望大学の募集要項に太枠で記載されていた「入試の際に個別の配慮を希望する方は備考欄に記入をお願いします」という一文を見て(これはもしや、わたしがお願いしてもよいものなんじゃないか)と恐る恐る
の2点にチェックを入れた。そうしたら、受験当日となりの席に幼稚園から高校卒業までずっとろう学校で育ったという女の子が座っていたのだ。彼女はきっと「仲間を見つけた!」と嬉しそうに手話で話しかけてくれたのに、わたしには彼女がなんと言っているのかがさっぱり分からなかった。それで、入試の休み時間や帰りのバスでは携帯のメモ機能を使って筆談をしたのだ。
志望大学の合格が決まったとき、「きっと彼女も合格しているだろうし、仲良くなるんだろうな」と思って、地域の手話サークルに通い始めた。蓋を開けてみるとやっぱり彼女もその大学に合格していて、やっぱりわたしたちは友達になった。入学式の日にわたしができた手話は「久しぶり!」の一言と自己紹介くらいだったけれど。でも彼女はとても嬉しそうな表情をしてくれたし、大学卒業までの間ずっとわたしに手話を教えてくれた。
いざ手話を始めてみると、わたしは自分で思っていた以上に自分の耳が正確に言葉をききとれていないことを知った。視覚から入ってくる言葉はどれもストレスなくわたしの中に入ってきて、新しい知識をたくさん吸収させた。
手話という言語がわたしのものになったことで、新しいことばや知識を得たいときには手話通訳を受けるという術を身につけたし、手話で考えたことを表現したいときに手話で話せる友達ができた。【言語は思考の限界である】なんて言葉もあるけれど、わたしの思考の言語がひとつ増えたことで、間違いなくわたしの世界はひろがっている。
と同時に、思考した言語と自分が発する言語は同じものの方が気持ち良いな、なんてことも感じるようになってきた。
今回の会議みたいに、議事を日本語で考えて入力したものは、日本語の音声で発する方がラク。そして、ろうの友達と手話で話して手話で思考したものは、手話で発した方がしっくりくる。機能的に、音声の全て正確にききとって自分のものにすることは難しいから「音声→手話・文字」の通訳は、わたしにとってこれからも必要不可欠だと思っているけれども。
外国語のなかには、日本語の「木漏れ日」のように他の言語に訳すときに一言では表せない単語がある(翻訳できない世界の言葉)ように、日本語も手話もその言語で思考するからこそ表現できるものがたくさんあるわけで、わたしのもつことばたちも「誰にどう伝えたいか」を考えながら、臨機応変にこの世界に落としていきたいな、なんてことを考えている。