だからわたしは、今日も本を読む。
わたしの通っていた小学校には図書室が2つあって、手前に絵本が足元にたくさん並ぶ低学年図書室、奥に児童書や辞典が高く積まれた高学年図書室があった。
カーペットが敷かれたその部屋で、次に読みたい本を手に取っては座り込んでパラパラとめくるのが大好きな小学生だった。
あれは確か、小1の冬くらいのこと。
ひらがなもカタカナも読めるようになった。漢字だってちょっぴり読めるぞ。なんだか自信がムクムクと湧いてきたわたしは、文字がいっぱいある本が読んでみたくなった。
それでも、お兄さんお姉さんがたくさんいる高学年図書室に行くのはドキドキしちゃうから、低学年図書室の中でもちょっぴり文字の多い本を選んでみようと辺りを見渡した。
どんなタイトルだったかはすっかり忘れてしまったのだけれども、確か女の子に妹ができてお母さんにうまく甘えられないでいる……みたいなストーリーだったと思う。
当時、2人目の妹ができたばかりのわたしは「わたしはお姉ちゃんなんだぞおう!」と胸を張りたい気持ちと、「でも、わたしだって……」とお母さんに甘えたくてしょうがない気持ちで揺れ動いていたんだと思う。
我が家は祖父母の家も近かったから、週末は祖父母に甘える時間がたっぷりあったし、習い事の先生もうちの事情をよく理解してくれててなかなかに可愛がってもらっていたから、とても恵まれた環境だったと思う。
それでも、ゆらゆら揺れ動くこの気持ちをどう言葉にして良いのかわからなくてどこか悶々としているところもあった。
だからだろうか。主人公の揺れ動いていく気持ちがひとつひとつ丁寧に言語化されていくそのストーリーに見事のめり込んで、次の授業の読書の時間、共感しすぎて教室でわんわん泣いた。
小学一年生の女の子が読書の時間に泣き出すなんてよっぽどのことだろう。隣の席の男の子も、担任の先生も、何が起こったのかとものすごく心配して「何か嫌なことがあったのか?」はたまた「お漏らしでもしてしまったのか?」とそれはもう優しくしてもらいながら
と白状したらものすごく拍子抜けした顔をされてしまった。
そりゃ当然だ。
でも、自分だってまさか本を読んでこんなにも気持ちが溢れてしまうなんて思ってもみなかったんだよ。
そんな気持ちをその日の日記に書いたら、担任の先生が
とコメントを書いてくれた。
そんな一連の話を母に話したその夜、
と言って、母が久しぶりに抱きしめてくれた。
あれから何年も経って、今日もわたしは本を読みながら、泣いたり笑ったり云々と考えたりしている。
そして、切なくなったり感動したり共感したりしては、心や身体で感じたことたちに似合う言葉たちを見つけては「これは、わたしのなかの大切な葛藤のひとつであってよかったのだ」とほっと胸を撫で下ろしながら改めて思う。
だからわたしは、今日も本を読むのだ、と。