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広告表現とポリティカル・コレクトネス

広告の仕事をしていると、
どこかでポリティカル・コレクトネスにぶつかる。

なかなか日本語に訳するのが難しいこの言葉を
最初に知ったのは20年ほど前。


クリスマスにニューヨークで友達に言った私の一言
「メリークリスマス!」に対してこんな言葉が返ってきた。

ニューヨークにはユダヤ人やその他の宗教の人も多いから
「ハッピーホリデー」と言った方がPCに引っ掛からないよ、と。

当時PCというとパソコンしか思い浮かばなくて
ホリデーとパソコンの文脈がよくわからず
どういうこと?と聞き返したのが懐かしい。

PCはポリティカル・コレクトネスとか
ポリティカリー・コレクトの略語。

多様な文化や人種でごった返すニューヨークの生活で
日々出会うポリコレ。

その後、グラフィックデザインの事務所で働いていたときも
ポリコレというキーワードはよく上がっていた。

「このポスターのビジュアルは白人しか写っていない。
アジア人とブラック、ヒスパニックを満遍なく入れて。
ポリコレを意識しておかないとね」
そんなデザイナー同士の会話を思い出した。

広告やデザインの仕事は、時代の現状よりも
一歩先の理想を示すことも求められるのだと意識した。

一方でポリコレばかり気にしていて、
一時期ポリコレ呪縛にハマる自分もいた。
感じたままの表現がうまくいなかいこともあった。

自分が言いたいことを感情の力に任せて言うような
人間らしいことができない時期もあった。
表現のバランスが難しいなと感じた。

だからこそ、それを乗り越えようという自分もいた。
日本で育ってきた自分にはない感覚に触れた経験。
視野が広がる。
多様な人種や文化、倫理観の掌握領域も拡大した。

海外生活9年を経た後、
日本に戻ってきて既に15年経ったので
そういうポリコレの感覚も薄れている自分がいる。
毎日どっぷり日本の画一的な感覚に浸って生活をしている。


最近日本でも「ダイバーシティとインクルージョン」が
流行り言葉のように耳にする世の中になった。

ポリコレは多様性のある社会での課題である。
広告表現という仕事の中で
改めてポリコレを考えていきたいと思う。

日本だと、男女や年齢、障害者というようなポリコレが
イメージしやすいのかもしれないが、
世界基準で考えるともっと色々なポリコレの観点がある。

ポリコレはある集団をどうインクルージョンしていくか
と言う社会課題と直結した話。

人間一人ひとりがオリジナリティのある存在であるとすると
多様性は自然発生的にもともとある
もの。
一方、包括性にはコミュニケーション努力が必要。

多様性をどのようにインクルージョンしていくかは
これからの組織や社会において重要課題の一つと捉えている。


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