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ただしく怖がる

自分自身のことについて

感受性が強いから人のコトバを受け止めて流されてしまう傾向がある。

どうやらボクのパーソナリティは、そうなっているらしい。それがいいコトもあれば、もちろん悪いコトもある。

自分では冷静でいるつもりだけど、今の状況では冷静を装っているようにも感じる。現状に対して誰もが不安、焦り、不満を抱えている。当然の感情だろう。

冷静にいよう。冷静であろう。そう思えば思うほど感情に振り回されてしまう。大事なことは、正しく怖がること。

夫婦間のスタンスのズレ

以前も書いたように夫婦で我が家のスタンスについて話し合った。でも、なかなか思うように話は進まなかった。

ボクが住んでいる地域が比較的落ち着いていることも影響しているのかもしれない。ボクは自粛に向けて買い物、外出の回数を減らしているのだけれども、妻はそこまで縛りをきつくはしていない。そうなると自分ばかりが過剰に、ナイーブになっているのではないか、と思ってしまう。

一方で感染が拡大している地域のニュースに触れたり、首都圏の情報を目にするたびに、明日は我が身と考え、やはり慎重にならざるを得なくなる。

昨日は我が家の子どもが通う園から休園の知らせが届いた。市立ではなく、私立なのでよほどのことがない限り休園はないと思っていた。それだけに、事態が深刻さを増していることが伝わってきた。

ボクにできることは?

今、ボクにできることは、たぶん限られている。
・なるべく外出の機会を減らす。
・用事はまとめて済ます。
・外出した時にはテイクアウトをする。
・我が子とたのしく過ごす。
・自分の心身を健全に保つ。
・読み終わっていない本を読みまくる。
・ただしく怖がる。
・情報を取捨選択する。
・この事態の収束後の明るい未来をイメージする。
・笑顔が増える暮らしを送る。
・人を非難するようなネガティブな発言は控える。

思いつくままにざっと書くと、こんなところだろうか。

まずは健康に過ごすことが、現状では最大の社会貢献である気がする。それが医療機関を疲弊させず、家族をはじめ周りの人たちへのやさしさへつながる気がする。

ボクがややナイーブになっているのは、オヤジが心疾患を持っているからだろう。一緒に住んでいないから不安になりすぎない部分があるものの、やはりコロナにかかれば万が一のこともありうる。ネガティブを引き寄せないように努めているが、考えてしまうこともなくはない。

思考転換も必要になるのでは?

夫婦とはいえ、考え方が違ってもいい。この未曾有の状況は、誰もが未経験。だから、誰もが手探りだ。ボクは慎重に暮らそうとしているが、若干ながら妻とはスタンスがズレている。でも、それも仕方がない。こちらに無理に合わせてもらうのは、あまりにも傲慢すぎる気がする。

ただ、歩み寄れるところは、しっかり歩み寄る必要があると感じている。ボクの言動が間違っていても、妻が間違っていても、それはそれでいいではないか。

間違っていたね、という時が訪れる。それは事態が収束に向かっている、あるいは収束した時だと思うからだ。それまでに、先ほど挙げたような、ボクができることを淡々とやっていきたい。

「今日一日なにもしなかった」。そうではなく、「今日もコロナを阻止した」。ダウンダウンの松ちゃんの発想の転換、すごく参考になる。思考の切り替えも大事になってくるだろう。

ただしく怖がりながら日々を送っていきたい。

おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!

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