#静かな退職
やれないのか、やらないのか
周りにいる。最近、使われ始めている「静かな退職」をしている人が。
とにかく、仕事をしない。仕事を振っても「できない」と言えてしまう。
その感覚が良く分からない。やらないのに、言い訳は一丁前だから困る。
若い世代が問題視されるが、きっと「静かな退職」ってある程度の年齢を重ねたベテランが多いと思われる。
やらないのは理解できる。やればいいだから。
やれないのは、そもそもの処理能力がないから困る。それなのに役職が付いている不思議。年功序列の負の遺産なのか。
やらない理由に挙げるのは、手が回らないから。ん?そもそものタスク量が他よりも極端に少なく、誰でも処理できる難易度の低いタスクでも、そう言うならば何も頼めなくなり、周囲は遠ざけるようになり、「静かな退職」に至るのだろう。
2:6:2の法則が集団には働くと言われるが、本当だろうかと疑った過去の自分に言いたい、本当だよ。必要悪と言ってしまえば、それまでだろう。
管理職のトップに限って自分を有能に見せるために、あえて働かない人を傍に置いている傾向が見て取れる。どちらも姑息だ。
管理職は一見すると凄いように映る、イメージのいい自分が手に入る。一方、仕事ができない人は、仕事ができなくても怒られないポジションに収まれる。WinWinの関係性だが、その周囲はたまったものではない。
しわ寄せは必ず来る。もちろん例外なくボクにも来ている。
仕事をさせなくても平然といられる管理職のトップ、仕事しなくても出社できるメンタルの強さはワールドクラスの人。
ボクは物理的に、つまり仕事の絶体量が少なく、限られた仕事を上司が独占したために仕事が回ってこなかった時期があった。どうだったか?忙しいよりも苦しかった。人によってはラッキーと思うかもしれないが、日々書きたいボクにとっては生き地獄だった。だからだろう、日々、仕事をせずに時間を潰せる人が羨ましく映る。
そのヒトにも家族がいる。子どもがいる。さて、帰宅したらどんな振る舞いをしているのだろうと勝手に想像してしまう。ボクならば居たたまれないが、それは人それぞれなので何とも言えないが、休日だろうと平日のオフタイムであろうと笑うことは難しい。
「静かな退職」を成されたことは尊重する。その方が選んだ道なので。ただ、「退職前」と待遇が変わらないのは、ボクも含めて周囲は納得がいかない。それが組織、という人もいるが、果たして看過していいのか。
不満と問題意識は表裏一体だと思う。筋の通らない不満は文句に成り下がるが、理由があっての不満は問題意識、会社を考えていることになると思うが、混同して不満分子とくくられる危険性があるから怖い。気を付けろ!
不満は、特にはないが、なくは無いか。こうして書いているわけだから。そっと眺めている状況は、日本企業ならば当たり前なのだろうが、どう解決するのがいいのだろうか、と思わないでもない。いや、思っているか。
超繁忙期にスキマ時間ができたので徒然に書いてみたが、取り立てて騒ぎ立てない、事を荒立てないボクも組織に染まっている人間なのだろうと思うと、その勇気のなさに虚しくなる。そんな日もある。
忙しいと、仕事に神経を取られるから不満が入る余地がなくなるが、忙しい時にポコッと時間ができると面白くないことに目が向き、自分の中の闇が漏れ出してくる。呼吸しよう。味わおう。
これは、ボクのニーズではない。書いてお炊き上げ。
おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!