勢いだけじゃない40代の

本当に深く考えるようになったコトについて

ここ最近、制作していて思うのは、勢いだけじゃないってこと。以前は本当に勢い、ノリだけで突っ走っていたけど、それも悪くないけど、今は深く考えられるようになったし、途中で立ち止まれるようになった。

だから、引き出しが増えてきた。書けないというデビュー当時の恐れも、企画が思い付かないという焦りもなくなった。もちろん、不安も恐れもあるけども、それは当たり前のこと。ただ、引き出しを増やす努力を絶えずしているし、自然とそうなってきている。

さっきも書いたけど、やっぱりそれは好きなことができているし、環境がいいからなんですよね。環境が悪いと、やっぱりいいものはできない。いいものって制作側の満足度が高いのではなく、クライアントの共感を得られるモノって意味です。

ピリピリしている会社だと、一見すると良い物ができたように見えるけども、結果もついてこないし、クライアントも満足していない。満足しているように伝える、誤魔化しはするけれども、なぜかみんなの表情が冴えないのは、そこにウソがあるからだと思うし、振り返るとそうでした。

まあ、過去は過去で。今の話に。なぜ、考えられるようになったかって、それは経験ですよね。20代、30代とも違いますから。くぐり抜けてきた困難の数も当時と今とでは雲泥の差ですから。それは、考えますよ。

全てに全力を注げるほど、まだまだ職人的というか、知人の陶芸家のように納得できない作品を世に出すのは恥だ、とまではいかないですが、恥ずかしいものは、小手先のものは出せない、というプライドは持てるようになりました。

以前もなかったわけではないですが、伝わらないことに苛立ち、そこで思考が止まっていたんですよね。今も伝わらないことは日常です。それはそうですよね。相手はボクではないわけで。伝わらなくて当たり前、という前提に立つとだいぶ楽だし、修正が入ってもメンタル的に落ち込まない。

諦めや開き直りではなく、考え方です。先ほど読んだ高瀬敦也さんの『企画』にも、伝わらなくて当たり前、とあってホッとしています。ボクだけじゃなかったんだって。伝わらないことを前提に、どこまで解像度を上げて伝わるように努力するか。そこに心血を注げるか。

面倒くさいこともありますよ。実際、面倒です。企画書なんて手を抜けますもん。いくらでも。でも、やっぱり良いものは、良いものだって伝えたいし、それを知ってほしいから時間をかけるんです。それが実らなくても、そこに込めた思いは伝わると信じて。

先日もコンペで負けたけど、その負けたコンペを主催したクライアントから褒められましたからね。本当に思いを込めたからですよね、後々になって褒められるのは。見積りで負けたのは悔しかったし、あのみんなで作った素晴らしいものが世に出ないのは納得できないけども、熱が1㎜でも伝わったならば、ある意味勝ちですからね。

40代になって分かった、考えることの大切さ。これからも大事にしていこうと思います。まだまだ、伸びしろ、夢だらけ。

おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!



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