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カーテンとオシッコ
人生は気付きに満ちている
生来の面倒くさがりだ。とにかく、効率を重視して生きていきたい。
自分が大切だと思っていないコトには、なるべく労力を割きたくない。だから、掃除も好きだけど、嫌いだ。
部屋が綺麗になる。その過程は好きだけど、掃除機をかける、かけ終わった後は特に何も感じない。
自堕落なボクに、今日は2つの面倒くさいことが降りかかってきた。
まずは、カーテン。勢いよく寝室のカーテンを開けたら、勢いよくそのままカーテンがするりと左から右へと抜けていった。
駄菓子屋で何十本もつながったアメを引き抜く、あの爽快感に心躍ったが、同時にカーテンとレールをつなぐ金具が落ちて、激しい音を立てた。
面倒くさい!妻にバレずに直すのが面倒くさい!
家具は前後左右に飛び散ったして、見つけるのが面倒くさい。おそらく家具の裏に入ったので、家具を動かすのが面倒くさい。
とにかく、休みの日に労力を割きたくなかったけど、妻にバレると困るので先ずは金具探し。
あるあるだけど、家具の数が明らかに足りない。そう、家具の裏にあるのだ。動かさなければ。そっと。
動かしてみると金具はあった!と同時に、綿ぼこりに抜け毛(ボクは禿げてはいません)。掃除しなければ、面倒くさいの2乗だ。
諦めたらそこで試合終了なので必死に自分を奮い立たせる。まずは掃除。丁寧にティッシュでゴミを取り除く。爽快。
やり始めると止まらない性質。家具を移動させて掃除、掃除。綺麗になった。そして、金具もそろった。一石二鳥。嗚呼、カーテンよ外れてくれてありがとう。
ひと仕事終えてトイレへ。ん?なんか足元が冷たい。
オシッコが便座の隙間から垂れていた。素足だから気が付いた。靴下を履いていたら見逃していただろう。
便座を上げる。汚れている。便器を見る。汚れている。便器の周囲を見る。汚れている。
こう書くと汚いように思われるが、一般的な(基準は曖昧だが)トイレよりも数段キレイだ。ボクの中で汚い、ということ。
オシッコをきっかけに掃除がスタート。トイレ掃除は嫌いじゃない。
汚れが落ちるたびに、汚染され切った心が磨かれる気分だ。言い過ぎだ。
普段は靴下を履いているが、休日で雨だったことで素足だった。素足でなければ気が付かなかったことに感謝。面倒くさいけど。
カーテンを直して、トレイもピカピカ。意図せずして家がキレイになった。
ここ数年、何か嫌なことが起こる度に、それをマイナスと捉えないようにしている。例えば、我が子がご飯をこぼす。掃除しなければならない。面倒くさい。でも、それをすることで汚れた部分+その他の箇所もキレイになる。こぼさなければやらなかった掃除を、半強制的にしてもやることができた。結果的に家がキレイになる。いいじゃないか。
そう思えるようになった。偶然に起こっていることも、よくよく考えると必然。そう考えれば、全ての事柄にポジティブになれる。と書いたが、面倒くさいことは面倒くさい。
あらゆる事象は自分が作り出しているので、掃除にしても何にしても、きっと無意識にやろうとしていたことが、なにかのきっかけでやることなっているに過ぎず、そう考えると無駄なことも有益に思えてくるから不思議だ。
考え方ひとつで、気付きを得られるか、単なる不満で終わるか、かなり違ってくる。気付きと捉えられる思考を持ち続けたい。
おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう。