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#不完璧主義者

がんばらない自分を認めてあげる

なかなか抜けない「~しなければならない」。決まった時間に朝、起きなければいけない。みそ汁は音を立てて飲んではいけない(マナーらしい)等々。

ルーティーンも必要だが、そればかりだと息苦しい。いや堅苦しいか。

型にはめられた方が意外と生きやすい人もいる。決まりきった流れに沿って物を作るのが得意な人がいる。ボクはそうじゃない。でも、生活面では自ら型にはまりに行っている。

制作する人間だからその他の雑務はルーズでもいいだろうと思っていたけど、そこで例えば交通費の申請とか、社用車利用時のアルコールチェック忘れとか、細かいことで指摘を受けると凹む。なぜか?完璧主義を求めている、演じようとしているからだ。

仕事もできる、雑務もそつなくこなせる。隙がない、完璧な人間であろうとする。それがカッコイイと思っていた。だから、苦しかった。

組織にいる以上は最低限のルールは守る必要はある。諸手続きがルーズだと迷惑をかけるので、しっかりやる意識は持ちたい。それでもミスは生まれる。そこで落ち込む必要があるのかと。そこはボクが求めていることではなく、究極は制作物に誤字・脱字や言葉の使い方に関する間違いがなければいい。

無責任で、身勝手に思えるかもしれないが、自分が大切にしている範囲外でのことは、あまり気にしない方が精神衛生上いいように思う。わざと迷惑をかけるわけではないから。

なぜ完璧であろうとするのか。プライドがあるからだ。邪魔で仕方ないが、人間は見栄で生きているところもある。でも、そんなもの「ごめんなさい」で済む話。

そう聞いてから完璧を求めなくなった。すると、どうだろう。肩が軽いのだ。羽は生えないけれども、主には取れたような気がする。

不完全主義者でいいじゃないかと思えたことで、「~しなければならない」が減ってきている。休日は疲れを取るために昼寝をしなければならない。そのためには午後には外出先から帰らなければいけない。昼寝の後は散歩して健康に気を付ける。散歩したら風呂に入って、晩酌をして寝る。

一日の流れが決まっていることは過ごしやすくはあるが面白くはない。敷いたレールの上を走っていては、見ている場面は代り映えしない。面白くなりようがない。

ただ、まだ一定のリズムを保つのを心掛けすぎているようにも思う。縛りはまだまだある。それをひとつひとつ解いていけば、もっと人生は楽しくなるはずだ。朝は早めに出社して最低30分は読書時間を確保しなければならない、と思うのもそのひとつ。確保できなくても大勢に影響はないのに。

もっとよくなる余地が豊富に残されていると思い、もっともっと自分を解放していきたい。がんばらない自分を認め、ハグしてあげたい。

おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!

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