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寂しい、寂しい、こっち向いて

自覚することが何よりも大切

分かってはいたけど、曖昧にしていた。ようやく、気が付いた。周囲からは何度か言われ、自認していたつもりだったが、実は問題から目を背けていた。

ようやく今朝、自覚したことで腹落ちした。幼い頃の自分と向き合い時がやってきた。

胸のあたりが思いっきりざわざわしている。

昨年から妻が副業を始めた。応援したい気持ちはあるものの、その気持ちとは反対の行動をしてしまっていた。

なぜか?寂しかったからだ。

では、その寂しさはどこから来たのか。幼少期の体験だ。

これまで何度も書いてきたが、ボクの弟は入退院を何度も繰り返していた。その度に母親は付き添い、父親は懸命に働いた。ボクと三兄弟の三番目、末っ子は家で留守番をしていた。

母方の実家の近くに引っ越したり、親戚が面倒を見てくれたり、幼いボク等に気を遣ってくれてはいたが、愛情が一番欲しい時期に両親が構ってくれない寂しさは、知らず知らずのうちにボクの中に沁みついてしまったようだ。

孤独を癒せないまま、ここまで来てしまった。

孤独は怒りにつながっている。寂しいあまりに気を引くようなことを言ったり、したりしてトラブルになったことは数知れず。

かまってちゃんは、いまだに健在だ。「あ、現れた」と思うが、どうにも止められない。

つい先日も、会社の新年会で隅にポツンと座り、ひとりチビチビと酒を飲んでしまった。気にかけてほしいからだ。実際に気にかけてくれた人が集まり、ボクは満足感を覚えた。

家庭内では妻を応援したい、妻を支えたいと思う一方で、妻の言動にスイッチが入ってしまいツレナイ態度、強い言葉を浴びせてしまっていた。悪意はない。でも、孤独のスイッチが入ると、途端に寂しさから「かまってちゃん」が登場する。

昨日もそうだった。妻の友人が家に来た。ボクは在宅でも構わなかったのに、妻の友人が帰るまで家には戻らなかった。その間、何度か妻からLINEが来たが、無視したり気を引くような返事をした。こっちを向いて欲しいがために。

自分でもわかっている。孤独で寂しいことを。でも、味わい切れていないから次のステージに進めないでいる。そのことに、ようやく今朝トイレで用を足そうとした瞬間に気がついた。

妻に幼い頃に構ってもらえなかった母親を妻に投影している。

そのことを妻や周囲に言われたことがあり、その時は「そうだよね」と納得していたが、やはり他人に言われるのと、自覚するのとでは肚落ちが異なる。

ようやく、自分で妻に母親を投影して、「寂しい、寂しい、こっちを向いてよ」と訴えていることを自覚した。孤独や怒り、不安は他人には癒せないそうだ。

確かに、そうだと思う。孤独を癒そうと色々と試してはみたが、それは他人になんとかしてもらおうという他力だった。癒されないわけだ。

今朝、気がついたからには、孤独を味わい切るしかないと覚悟が決まった。反射的に妻に心無い言動を取ってしまったことを謝罪した。悪意ではなく、過去の辛い体験から反応してしまったことを。

これから妻はますます活躍することだろう。その時、孤独が癒されていなかったら、と思うと恐ろしい。

他力ではなく、自力で寂しさに対峙する。と書くと、なんだか大変そうだが、あまり構えずにやっていきたい。自力と書いたが、なんでもかんでも自分で考え、行動するのではなく、他人のアドバイスも活かしたいし、力も借りたい。ただ、そこで寂しさが出て、かまってちゃんが出ないようには要注意。

きっと自分の中の、どうしようもない孤独を味わいきったら、自分が歩みたい人生を、より気持ちよく歩めるはずだ。自分が変われば、周りも変わり、希望することが向こうからやってくるに違いない。そう思うと、辛いコトに、苦しいコトに向き合う覚悟が生まれる。

やりますか?はい。本当にやりますか。イエス。そうやるのだ。覚悟は決まった。目覚めの時だ。

ラブマイセルフ。まずは、今までの自分をよしよし、抱きしめたい。よくやってきたよ。寂しかったね。うん、そうだよね。

おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!


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