新しいPRと広報のカタチ 妄想工務店たくらむプレゼンツ
従来のカタチを現在に即したものにできないかについて
ボクは県政記者クラブが苦手だ。嫌いだ、と書かなかったのは、最近マイブームの松浦弥太郎さんの本の影響からだ。嫌いだでは角が立つので、苦手に留めた。
なぜ苦手なのか。まず幹事社の存在だ。大手新聞社の県庁担当が交代で担い、記者会見の際には代表して質問する。その旧来のシステムに不満をおぼえた。
当時フリーランスとしてサッカークラブのJ2リーグ参入、クラブが財政難に陥った時などに記者会見に出席した。場所は、県庁の一角だ。練習場がボクのホームだとするならば、そこは完全にアウェイだ。クラブ事務所は、中立地と位置付けられるかもしれない。
サッカーの場合、試合後の監督記者会見ではメディアに属していようと、フリーであろうと所属先に関係なく、手を挙げた記者が順番に指名される。だからだろう。普段はサッカーの取材もしない記者がなぜ最初に質問をするのか。いつも現場にいる記者が質問するのが道理じゃないかと憤った記憶がある。
郷に入れば郷に従えなので、不満を漏らすことなく我慢した。知り合いの記者もいたのでコトを荒立てることはなかった。でも、気持ちがいいものではなかった。やっぱり歴史的な瞬間、重要案件ではいの一番に自分の思っていることをぶつけたい。それが記者というモノだと考えるからだ。
菅官房長官の会見や安倍総理の会見も、同じようなシステムで動いていることがフリーランスの記者の報告で目にすることがある。ボクの場合は質問ができたけど、複数のメディアが参加する政治家の会見では質問さえも許されないそうだ。時間に限りがあるとはいえ、聞きたいことが聞けないのは記者としてはスッキリしない。自分が聞き出したことを軸に記事を展開できないのはストレスだ。
模索段階の、心地よい「公衆とのよい関係づくり」
そんな不条理を体験したり、耳にしたりしたことで、新しいPRと広報のカタチが作れないかと妄想した。PRと広報にはその意味合いに多少の違いがあるけど、つきつめれば「公衆とのよい関係づくり」。そうであるならば、もっと開けた場が必要だし、自由に質疑ができる環境であるべきではないかと思う。
考えは固まっていないけど、どこかのメディアや誰かが得するような場所ではなく、セントラルな場所、つまり中立地でPRや広報ができないものだろうか。そこでは所謂、大企業のことばかり取り上げるのではなく、中小企業や個人経営のお店も情報を等しく発信できる。
SNSがあることで一人ひとりがメディアを有している時代だけど、たとえば新商品のラーメンができたらそれを披露できれば、より広がりが生まれると思う。店主個人が発信するよりも。ここで重要なのは作り手の声がダイレクトに聞けることに加えて、新商品が食べられたり、新商品に触れられたり、「体験」ができること。
どこまでをオープンにして、どこからをクローズにするかは考えどころだ(そんなことも考えない完全にオープンな場がいいけどね)。一般の方が体験できて、それが個人のSNSというメディアに載り、口コミで拡散されていくと面白くないですか?
どこにセントラルな場所を設けるのか、その運営方法と運営資金はどうするのかなどなど考えるべきこと、やるべきことはたくさんあるのだけれども、オープンな場所でわいわいがやがや、これまでにないモノ、これまでにあったけどより良くなったモノを体感して発信できないモノかと妄想している。
便利な世だからこそ、ひと手間を
プレスリリース一枚で記事を書くこともできるけど、手間暇をかけて取材して記事にしていくある意味の面倒臭さが、便利すぎる世の中には必要になってくるようにも思える。
この妄想をなんとかカタチにできないモノか。記者と堅苦しく括らなくても、ママとか主婦とかシニアでも発信者はいいと思っている。これだけ発信したい欲求が高まっている現代ならではの、従来とは異なる伝え方ができれば楽しいだろうなとニヤニヤしている。
おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!