『耳の穴がふさがらないイヤホン』という答えにたどり着いた母、太子。
イヤホンを耳にさしてお皿を洗い始める。
水の落ちるザーという音が聞こえないくらいに音量をあげてから音楽に耳を傾ける。意識はほとんど耳にいっていて、手は無意識に動いているだけ。Mrs.GREENAPPLEが最近のお気に入りで、ボーカルの大森元貴に自分のこえを重ねて歌う。腰をふりふり、ステップを踏みながら陽気にダンスホールの世界に入り込んでいた。
トントン、と腰を叩かれて、子どもが口をパクパクさせながら何かを訴えてきた。
蛇口の水を止め、皿をシンクに置き、ゴム手袋をはずし、イヤホンのストップボタンを押してから子供に向き合う。
「なに?」
「セロテープどこ~?」
セロテープを見つけてから再びイヤホンのスイッチをオンにし、音楽をスタートさせ、ゴム手袋を装着し、お皿を手にとり、水を出したところでまた腰をトントン。
蛇口の水を止め、皿をシンクに置き、ゴム手袋をはずし、イヤホンのストップボタンを押してから子どもに向き合う。
「なに?」
「お腹すいた~」
オヤツを取り出し、みたびイヤホンのスイッチをオンにし、音楽をスタートさせ、ゴム手袋を装着し、皿を手にとり、蛇口をひねっ…トントン「ママ―!(パクパク)」
…イヤホンはダメだ!無理があった。
そうだ、我が家にはAmazonエコーがあるじゃないか。私はAmazonエコーにこえをかける。
「アレクサ!Mrs.GREENAPPLEかけて」
🤖はい、Amazon MusicでMrs.GREENAPPLEのダンスホ…「あれくさ!!めざせポケモンマスターかけて!」
🤖はい、めざせポケモンマスターを再生します
♬~たとえ火の中、水の中…
違うっ!
私はポケモンが聞きたいんじゃない。水の中~のお皿を洗いたいんだ。Mrs.GREENAPPLEを聞きながらっ!
イヤホンもダメ、Amazonエコーもダメ、一体どうしたらいいんだ。音楽は諦めるしかないの…?
「はいこれ」
夫がある日、何でもない日にプレゼントをくれた。
「なにこれ?」
「耳の穴がふさがらないイヤホン。これだったら音楽を聞きながら子供たちの声も聞こえるんだって」
「どういうこと?耳の穴にささなくても聞こえるの?骨伝導的なやつ?」
「いや、よく分かんないけどとにかく試してみて。」
言われるがまま、耳の上に引っ掛けるようにしてイヤホンを装着した。そしてMrs.GREENAPPLEを再生してみた。
♬~いつだって、大丈夫
「どう?聞こえる?」
「…聞こえる…!どっちも…!!!!」
耳の穴にささってないのに耳元で音楽が聞こえてくる。外の音も遮断されることなくそのまま聞き取れる。どうなってるのかは全然分からない。
子どもたちも集まってきた。
♬~この世界はダンスホール
「なになにー!?」
♬~君がいるから
「ママ~聞こえますか~?」
♬~愛を知ることがまた出来る
「何聞いてんの?」
♬~大好きを
「うたえるーーーー!!
しかも、きこえーるー!!!!」
夫の声と、子どもたち3人の声と、大森元貴の声。5人の声が同時に聞こえる。なんならコーラスの声も聞こえてるし、アレクサの声も、アレクサから流れるポケモンも聞こえる。もはや私は10人の声を同時に聞けていることになる。
太子だ。聖徳太子になれたよ私。太子って呼んで?
キッチンに立ち、イヤホンを耳にかけてお皿を洗う。音量をあげて音楽に耳を傾ける。
ふりふりと振っていた私の腰を叩きながら子どもが口を開いた。
蛇口の水を止めず、皿を持ったまま、ゴム手袋をつけたまま、イヤホンから音楽が流れつづけたまま、子供に向き合う。
「ママ、デザートある?」
「みんなの好きなイチゴがあるよ」
その声と、音楽とが重なる。
音楽を聞きながらでも家族と会話が出来る。
大好きが聞こえるし、大好きも言えるし、大好きを歌える。
(本文1550文字)