私のこと、、②
『原発被災者』という肩書きのせいで、様々な苦労や困難、誹謗中傷に遭ってきたのは私だけではありません。
なので「なんで私だけこんな目に遭うんだ」とは思っていませんが、流石にひき逃げされた後は「なんで私だけ」と思いました、、。
ひき逃げの被害者の方もある一定数いるとは思いますが、『原発被災者』➕『ひき逃げ被害者』は結構なレアだと思うんですよねぇ、、。
3回目の引っ越し先で、精神科から退院後に
「仕事してみようかな、、、」
と思って職安に行きました。
「あ〜、被災者の方ですかぁ、、。え?事故の後遺症がある?う〜ん、、、。」
結局、
『身体障害者手帳の申請をしてきて下さい。』
と言われて帰されました。
なので、申請手続きをしようかと役場に行こうにも、当時の家から役場まで小一時間かかった為、1人では行けずダンナさんも平日は仕事で行けないから断念しました。
ネット求人で探しても、メールや電話で問い合わせの段階でやんわりと断られる始末で
「あぁ、私は社会には必要無いんだなぁ、、、」
そう感じる日々を過ごしていました。
そんな生活に転機が訪れたのは2019年。
ダンナさん1回目の定年退職を機に楢葉町に引っ越しました。
下の子は中途半端な時期の転校になりましたが、私も子供も色々あっての結論が『引っ越し』でした😓
その際、運良く楢葉町の会社に就職出来たのですが、数ヶ月後に職場で倒れてしまいました😱
その際に対応してくださった病院の医師から、今の主治医を紹介していただき、
『脳脊髄液漏出症』
との診断がおりました😌
そこから適切な治療を受けられる様になり、
『ブラッドパッチ』という治療法を3回受けて現在に至ります😊
適切な治療を受けた事により、体調が回復してきた私は、性懲りも無く
「仕事しようかなぁ、、」
と考え始めました。
もちろん、家族は大反対‼️😱😱
倒れた事が原因で会社を辞めているので、また今度仕事を始めて同じ事が起きる事に私以上に不安を感じていたのです。
それでも
「何かないかなぁ、、」
と思っていた時、たまたま用があって行った大熊町役場に
『パート募集中』
のチラシが置いてありました。
大熊町で始まったイチゴの栽培施設
『ネクサスファームおおくま』
のチラシでした。
ここが、私が前を向いて歩き始めるキッカケになった重要な場所になります☺️
私の『恩人』達が今も働いている場所です🤗
また長くなりましたので、次回に持ち越させていただきます🙇♀️🙇♀️
次で終わらせたいと思います💦
出来れば次回も読んでいただけたら幸いです🙇♀️🙇♀️
宜しくお願いします🥺🥺