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「できない」ということの大切さ
私たちは小さな頃から、何かが「できる」ようになると周りの大人たちから褒められてきました。
大人になってからも、何かが「できる」とそれは成果とされ、評価されてきました。
そのためなのか、対人関係においても相手の言うこと(要求)を「できないといけない」と考える人が多いように感じます。
「Yes」しか言っちゃいけない、感じ。
昔、『「No」と言えない日本人』という本が話題になったことを想い出します。
しかし、特に、人間関係においては「できない」ということが、心の境界線を引くうえでとても大切になってきます。
どうも、年下の相手や子どもに対しては、大人たちは残酷なまでに平気で「ダメ!」とか「いけない」とかいっているのに、年上やパートナーに対しては同じように言えないのです。
よく考えてみると、おかしな話です。
「私はそれはできない」ということは、自分の個性のありかを示すものでもあります。
自分の主体性を育むものでもあります。
「できない」ことは、劣等生や能力の低さを示すものではないのです。
「できない」ことがあっても、人間はしっかりと関係を結んでいくことができるのです。
「できない」からこそ、私たちは、お互いを尊重し、協力し合うことができるのです。