ラーメシュワラム~南の聖地~
何もしていない時間、ポツンと一時、僕はいろんな場面を思い出す。そして、決まって最後は苦笑いをする。それは、僕の旅には失敗が付きものだったからだ。何故、失敗ばかりしていたのかと問えば、まず旅が分かっていなかった。それから、意思の欠如やら、体調管理の甘さやら、いくらでも出て来る。そうやって、失敗ばかりしてきた僕だが、もう旅も残りわずかな頃の、ラーメシュワラムでの三日間は割とうまくいった。
そもそも、当初の計画にラーメシュワラムは入っていなかった。ガイドブック(およそ百都市を紹介)には載っているのだが、出発前に読んだ限りでは全く興味もなかった。南インドの聖地ではあるのだが、いや聖地でしかないからか、そこはマイナーな所であった。実際、そこではインド人以外の人は見かけなかった。では、何故僕はラーメシュワラムへ行ったのか。それは、リシケシでの出会いがきっかけだった。その辺の話は長くなるので、また別に話そうと思う。
ラーメシュワラムには、バスで深夜に着いた。ガイドブックによると、有名な寺の近くまで行くには乗り合いタクシーに乗るのが一番だと書かれていた。バスを降りると僕は、不安になりながらそれを探す。幸いにすぐに見つけられ、他の五人のインド人とともに寺へと行くことが出来た。ドライバーも早く出発したいし、客も人数が多い程安くなるから早く乗れと進めてくれる。そう、乗り合いだから、近場で満席なら一人十ルピー(二十円)でいいのだ。さて、ここから宿を探すのだが、僕には一応決めている宿があった。旅を続けているうちに好きになったクリシュナ(ヴィシュヌの化身)という神様の名前の入った宿で千円くらいのところがガイドブックにはあったのだ。僕は寺からそう遠くはないはずのその宿を目指して、深夜三時過ぎの街を歩いた。もう、明るくなり始めていて、外には寝ている人や露店を開き始めている人もいた。何回か場所を尋ねながら探したが、結局見つからず、宿の前で客引きをしていたおじさんと話して、千円以下で泊まれたのでそこに泊まることにした。トイレ、シャワーは兼用だが、一人部屋に泊まれればまあよし。少し寝てから寺詣でに行くことにして、僕は床に就いた。
朝起きて、煙草を吸い、トイレへ行ってから寺でも見に行こうと、扉を開ける。いや、開かない。何故か外からも閉められるようになっていて、そこが閉まっていた。でも、これもハプニングだと思えば、また何でもない。僕は扉の上の隙間から外を覗き、人が通ったときに助けを求めて開けてもらうと、いつも通りガイドブックの該当ページを切り取ってポケットに入れ、サンダルを履いて外へ出た。寺は四方に入り口があるが、宿から一番近い入り口には靴置き場がなかったので、半周回って、違う入り口から入った。
南インドの寺には、ヒンドゥー教徒しか入れない場所が多々ある。ラーメシュワラムの寺は、一番中央がそうなっているとガイドブックには書かれていた。サンダルを脱いで入っていった僕は初め、その決まりを守って寺内部の外回りの回廊を歩いた。天井が高く、所々に神様が祀られていたりして、とても雰囲気のある空間だったが、数分で回ってしまうと、何か物足りなさが残った。そこで、中に入ってみることにした。止められたらそこで引き返せばいいかと。結果的に、この一回目の侵入では、僕は特に止められずに中央まで行けてしまった。係の人が寝ぼけていたのか、それとも日焼けをした僕の顔が、インド人とも見えたのか、その辺は分からない。神様を前に僕は謝りながら、少し楽しい気分でそこを出た。
お腹が空いたので、飯を探すことにした。ラーメシュワラムの地図を見て、沐浴をする砂浜があることは知っていたので、そこを目指し、海の目の前の店でチャイと、サーターアンダギーのような甘いお菓子三個で朝食を済ませた。沐浴場にはヒンドゥー教徒の人たちが民族衣装のまま海水に浸かっていた。また、バスの停留所もその目の前にあることを確認し、僕は海に沿って少し歩くことにした。南の地らしいヤシの木の生えた道を歩いて行くと船着場があった。ガイドブックには載っていなかったので、どこへ行くものかは知らないが、インド人の後に付いていって乗ることにした。これは観覧船で、そう遠くには行かなかったが、海の上に乗っかっているように見える積乱雲や、船から見る巨大な寺には一見の価値があり、この景色もまた脳裏に焼き付いている。
船のあとはまた、恒例のぶらぶら歩きをした。と言っても、まず寺の回りを歩き、レストランで昼飯のカレーを食べて、また寺へと入ることにした。ただ、今回はガイドに見つかった。まあ、無料でと言いながらどうせチップは払うようだけど、暇なので一緒に寺へ行くことにしよう。彼について行くと、やはり中心には入れない。だが、俺が連れて行ってやると、いろいろ案内してくれた。もう中心も行ったけどとは言えず、付いていくと、いつも通りのお布施付きのお祈りで五百ルピー請求され、やはりいつも通りチップも渡し、暇を潰せたことに満足して寺を出た。ガイドのおじさんには、明日同じ場所で会って家に連れて行って飯を食わせてもらえる口約束をして別れ、一度宿に帰ることにした。僕には一応やることがある。洗濯だ。宿の外の水道場には宿のおじさんが洗濯をしているだけで、あとの人たちは皆洗濯を終わらせて物干し場に干していた。おじさんにバケツを借りて、洗濯石鹸でシャツとパンツを洗い、洗濯を干してしまうと、僕はまた外へ飛び出した。
海を眺めるのは楽しい。単純だが、これは真理だ。僕は沐浴場から少し離れたところから海を眺めていた。海風が強く、煙草にマッチで火を着けつけるのは難しかったが、上手くつけられるようになったら格好いいと思いながら、悪戦苦闘していた。こうして、昼間も過ぎていって、夜はまたレストランを探し、カレーには飽きていたのでフライヌードルとやらを食べて、近くの小さい寺の夕方のお祈りを見つけたあと、僕は宿に帰った。宿に帰ると、いつも僕は次の日にやることを考えることにしていた。ラーメシュワラムでは、寺のほかに、スリランカへと続く小島群の見える海岸があるらしいとガイドブックで見ていて、昼のガイドのおじさんにも何番のバスに乗ればいいのかは聞いていたので、明日はそっちへ行ってみようと決め、僕は蒸し暑くベッドと小さい机のあるだけの狭い部屋で、うるさいファンを廻しながら寝た。
次の日にも、少し早起きしてまず寺詣でを軽くした。今回は、宿から裸足で出て行って、一番近い入り口から入った。そこの入り口には土産物屋が並んでいて、客と店員の値切り合戦を横目に、寺の中へと入っていった。中心まで行くのは混んでいて嫌だったので、回廊を一廻りして、回廊の神様にお祈りしてから、外へ出た。もう、朝飯の店は決まっていた。そう、昨日行った砂浜の前の店だ。おじさんにチャイとお菓子を頼み、腹ごしらえが終わると、僕はバス停へ向かった。少しすると目当てのバスが来て乗り込むのだが、本当にこれであっているのか不安である。二三人の人に聞いてやっと安心した頃にはバスは走り出していた。インドのバスは、切符売りの人が乗っていて、バスが走っている間に、客に目的地を聞いて切符を売って歩くのである。あんなに満員のバスでよくやるもんだと思いながらも、まあやれるもんである。行きのバスは座れずに立ったまま、三十分後に海岸へ着いた。そこも観光名所なので、たくさんの人がいて、海を眺めたり、写真を撮ったりしていた。僕も写真を撮って、例のスリランカへと続く小島を探した。ただ、それらしいものが見えたのだが、はっきりとは分からなかった。それでも、インドにいてスリランカの近くまで来ていると考えると感慨深く、僕は海に足を浸しながら、遠くを眺めた。それから、学生らしきお兄さんに頼まれて写真を撮り、お返しに僕も撮ってもらった。思う存分海を眺めて、僕はまた帰りのバスに乗った。今度はバスのギアのところに座れた。そして、途中に寺があるのを知っていたので、ドライバーにガイドブックの切れ端を見せてそこで降ろしてもらい、海に突き出した寺に行った。そこでココナッツ売りのお兄さんたちをスルーして中に入っていき、写真撮影禁止の神様を数秒眺め、屋上から景色を眺めた。たしか、そこはハヌマーンの寺だったが、いつも通り神主さんがお賽銭をするとすぐ次の人が神様の前に来るように促していたので、どんな神様かは覚えていない。そこからがまた大変で、バス通りに戻ってもバスがなかなか来ない。バスは通るのだが、私営のツアーバスばかりで、それには乗れない。僕は近くにあった店でマンゴージュースのペットボトルを買い(百円くらい)煙草を吸いながら待っていた。二十分もいただろうか。やっとバスが来て、その日はそれで帰ったが、バスに乗っている時に、気になるものを見つけてしまった。それは別の海岸に朽ち果てた姿の教会のようなものだった。ということで、次の日もまたバスでこっちに来ることにした。昨日のおじさんとの約束の時間には寺の方へ帰れなかったので、飯の機会はなくし、まあ寺の近くのレストランで食った。この日はあと、夕飯に沐浴場の近くの屋台で軽食を買って食べたが、予想外に旨かった。そして、宿に戻って日記を書き、シャワーを、浴びて寝付いた。
さて、今日がここにいる最後の日だと考えながら、また沐浴場の前の店で朝食摂って、僕はバスに乗った。途中で降りるにも、停留所の名前も分からないし、六十円で行けるから、またスリランカを見に行った。そこから、たぶんそうかからないだろうと、歩きはじめたのだが、昨日の教会はなかなか見えてこない。先の海岸に行くバス以外には車もほとんど通らず、まっすぐな道を僕は歩いた。途中には、地引き網漁をやっている人たちがいて、写真を撮った。また、道の端に所々黒い羽に赤い斑点のある蝶が死にかけて横たわっていたのも印象的だった。きっと、暑さにやられてしまったのだろう。なんといっても、ここはインドの南部だから、この日も三十度近くある。そんなこんなで四十分くらい歩き、ようやく目的の砂浜に着いた。
道の反対側の村落に太陽光パネルが設置されているのを珍しげに見ながら、露店の並びを歩いて、崩れた教会へと向かう。入り口に書いてある説明文を読んで、これが教会ではなく寺であることを知ったが、僕にはどうもしっくりこなかった。あれは教会だ。僕はいまでもそう思っている。寺を見終わると、僕は帰りのバスを待った。だが、バスはなかなかやって来ない。寺の回りを歩いていると、かなり広い範囲に壁の崩れたのがあった。これはすごい大きな寺だったのかと、想像を巡らせながら煙草を吸っていると、バスが来た。それに乗って宿のある方へ戻る。
宿に一回寄って休んだ後、近くのチャイ屋へ行った。チャイとサーターアンダギーのようなものを食べながら、そこのおっさんと雑談をして、まだ腹が減っていたので、安そうなレストランに入った。店内では、皆葉っぱの上にご飯とカレーを盛ったのを食べている。実は僕はインドに来て初めてこれで食べた。要領がわからなくて隣のおじさんと店員に笑われたが、今さらながらインドの文化の一つに触れられて、とても嬉しかった。飯の後、もう少しぶらぶらしようと、沐浴場の砂浜へ行った。そこに一台のリキシャーが。まだ行っていない、小高い丘にある寺のことを思い出して、リキシャーのお兄さんに聞いてみると、彼は十カ所ツアーを提案してきた。料金もそこまでふっかけられなかったし、行ってみようと承諾した。まず最初に、目的の丘の寺に行った。ちょっとした露店を通り過ぎ、寺へ上がると、ちょうど日没の時間で、夕焼けとともにまわりのジャングルのような景色を見ることが出来た。寺はいつも通り軽く冷やかして、寺の外の道で歩いていた牛の写真を撮り、次の場所へ行った。だが、次の場所は小さな祠で、ガネーシャ神が祀られていたのをリキシャーの中から見ただけで、これも十カ所に入るのかと思うとなんか面白かった。それから三カ所の寺が集まっているところへ行って靴を脱いで全てを見て回り、その後も寺を回り、最後の場所へ着いたのだが、そこはいまは井戸の水が涸れているという説明をリキシャーの中から聞いてもとの場所まで引き返した。僕は十カ所行ったような行ってないような気分でリキシャーを降り、宿に帰る前にもう一度町の中を歩くことにした。明日の早朝にはここを立つので、今日が最後だ。町は寺の参拝に行く人や帰る人で賑わっていた。僕が歩いていると、大きめのホテルの前で無料の飯のサービスをやっているところがあった。旅前半の僕ならば、通り過ぎていただろうが、今の僕はその列へ並んだ。前の人のマネをして葉っぱの皿をもらい、もち米と甘いカレーを盛ってもらった。その場でそれを食べていると、インド人に溶け込んでいるようですこぶる楽しかった。食べかけの皿を牛にあげている人がいたので、僕も道の端で牛に皿を与え、宿に戻った。宿で次の日のバスの時間を聞き、早朝にここを出ることを伝えて、その日は早めに寝た。
朝はしっかりと起きられた。荷物の確認をして宿の入り口に行き、そこで寝ている宿のおっさんに声をかけたが、起きない。金は昨日払ってあったから、僕は鍵をおいて、外に出た。外はまだ暗かった。僕はまだ眠かった。早くバスに乗って寝たいと思いながら、長距離バスの停留所に行くために沐浴場のそばのバスの停留所に向かう。バスが来なくてもリキシャーを拾えるだろうと。だが、なかなかバスもリキシャーも来なかった。とりあえずチャイを飲むことにして、僕はあの店へと向かった。