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失敗の効用――『失敗がいっぱい』に添えて

めんげんと失敗について考える。

めんげん、すなわち好転反応は、全体として良くなっていく過程で一見、悪くなったように観える状態や症状や出来事があることをいう。

関係療法では、エナクトメントに近いものだろう。エナクトメントは、これまでの臨床心理ではカウンセリングの失敗として考えられてきたものだそうだ。

私は、野口整体と関係療法をやり始めてから何度もめんげんがあったけれど、いま具体的に思い出そうとしたら、ひとつしか思い出せなかった(40度の高熱のあとに、口の中から直径1センチの白い玉が出てきたこと。白い玉は医学名は膿栓)。

そのときは、「あぁ、めんげんって、しんどい」と思ったことは覚えているのだけど、めんげんを経過するとすでに立脚する世界観が変わってしまうからなのか、すっかり忘れてしまっている。

身体のめんげんは比較的わかりやすいけれど、心のめんげんは関係性も絡むからわかりにくい。関係性の中で痛み(怒り)の感情が出せるようになってケンカが始まる、なんてのはよくあることだ。

それまでどれだけ抑えて生きてきたのか。ケンカになるのが嫌だからと、そのまま自分を抑えて生きるのが本人の人生にとってよいのか。それはよくわからない。

ただ、主体的生きられるようになると、様々な感情が成熟したかたちで収められるようになっていくことは確かだ。

そこまで至るには、なかなか道が長いこともあるけれど、主体的に生きられると、自分への安心感がもてるようになる。そして、周囲の感情に下手に振り回されなくなる。それはとても楽だ。

それから、一見、「失敗」に観えるものも、めんげん的な要素がある場合がある

日本社会では「失敗すると落第者で、取り返しがつかない」みたいな風潮があって、みんなこぞって失敗に恐れおののく。

学生なんかは、受験や就活の失敗で人生終わったかのようにとらえてしまう人もいる。私も受験に失敗したときは、人生終わったと思ったことがある。

しかし、関係療法では、「失敗は成功のもと」という、当たり前のことを応援する。

失敗したら、現実的に対処すればよいだけのこと。

あなたのせいではない。誰かのせいでもない。

ここで、失敗を「あなたの能力が足りない」とか、「◯◯さんが~~しなかったからだ」とかやり始めると、恥トラウマを抱えることになったり、精神病水準の悪循環に陥り始めたりする。

恥トラウマは、きつい。失敗を恥と結びつけてしまう日本人の心性は、その人ほんらいの生き方を狭める。ずっとひとりで恥と痛みを抱え続けることになる。

「事なかれ主義」は、関係性や組織の中での失敗を巧妙に隠蔽しようとする。これは、いわゆるグレートマザー元型ともかかわる。「良きに計らう」から、私のいうことを聞きなさいという支配。都合が悪くなると、掌を返す、そういう組織や関係性

日本社会の多くの人がここで苦しんでるのに、やはりみんな、失敗をめんげんをおそれる。「世間の恥だ」という、呪い。

シンガーソングライター小沢健二さんが、子育てしながら創った『失敗がいっぱい』という詩は、この呪いを解くひとつの魔法かもしれないとも思う。

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