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子どもの支援を考える――不登校と発達の課題から

先日、小中学生の不登校が過去最多の34万人になったというニュースがありました。11年連続の増加だそうです。

「不登校」と一言でいっても、学校に行きたくなくなる理由はひとつではありません。

そもそも、なぜ学校に行かないことが社会問題となるのか、について考える必要があるでしょう。

事実としては、日本では教育を受けるにあたっては「集団教育」しかないからです。つまり、子どもたちがどこかに集まって、そこで一斉に教育を受けるという仕組みです。これは、動かしがたいものです。

歴史的観点に立てば、日本の学校制度成立の背景には軍隊があり、兵士として適切な人材を育てるという目的がありました。諸外国と比べて急速に教育制度が整ったのも、この背景が関係しています。

学校という教育制度のあり方に対して批判的視点をもつことや、政治を睨むことは、とても大切でしょう。しかし一方で、今日、教育を受けられる場としてあるということは、事実でもあります。

欧米では「集団教育をうまく受けられない子どもたちがいる」・・・という疑問から、田中ビネーやWISCなどの心理テストが開発されていきました。

日本では発達障害者支援法の改正に伴い、発達の課題を抱える子どもの早期発見が謳われ、今日では、教育現場では少しでも〈人と違う〉子を見かけると、二言目には「発達の・・・」とおっしゃいます。

これはなかなか難しい問題です。先生方から、「発達の・・・」と言われたお母さまの中には、複雑な気持ちを抱える方も多くいます。一方で、教育現場からすれば、国の方針でもあることなわけですし、本人が教育を適切に受けられるための助言でもあるわけです。

こうした傾向を、私たちはどう考えたらよいのでしょう。インクルーシブ教育が進んでいると捉えるべきなのか、それとも、実は、多様性の名のもとに、人と違う・勉強ができない子どもたちにラベル貼りがされてるのか。

私が危惧しているのは、発達の課題がある子どもへの「支援」が、どんどん画一的になってきているということです。多様性や個性の尊重どころか、逆の方向に進みはしまいか。もちろん、ひとりひとりを尊重した発達支援をされている方々もいます。

学校に行かなくなる背景に、発達の課題があるお子さんもいらっしゃいます。丁寧にご家族の話を聞いてゆくと、そこには、一筋縄にはいかない歴史がよくあります。

そうした中で、お母さまも、お子さんも、生き抜いてこられた。まずは、そのことに、敬意が示されるべきだと思うのです。たった1回会っただけの支援者が、何かを判断したり理解したりできるようなものではないのです。下手にいじくりまわすなど、もってのほか。

そうした大いなる歴史を前にして、支援者ができることは何か。ひとつ、私が確信しているのは、子どもたちは、大人たちが思う以上に自分の人生のことを考えていて、そういう子どもたちがたどたどしくも語り始めることができるための土壌を耕すことです。

「土壌を耕す」と書きましたが、おそらくこれが支援者の技術そのものなのかもしれません。良質な支援関係という土壌がないところに、種子は発芽はしないのです。

中学校はずっと不登校で、高校も休みがちだったお子さんが、学校に行くようになり将来の夢も持つことができた。もちろん、またつまづくこともあるでしょう。それでも、つまづいたときにはどうするかまで考えられるようになっていくこと。それを、できれば家族全体で話し合えるようになることが必要なのです。

もちろん、学校に行くことだけがその子どもや家族にとっての正解ではありません。最近は、フリースクールや通信制の学校なども増えてきて、学校に行かずとも交友関係や学習の機会を得ることもしやすくなってきました。

「不登校」や「発達の課題」という出来事は、お子さまにとってもお母さまにとっても、ご不安やご心配を抱えざるをえないことだと思います。当相談室では、お母さま・ご家族のみなさま、何よりご本人の気持ちを大切にしながら、未来を見据えつつサポートしております。

どうぞお気軽にお問合せください。

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