労働形態の変化がもたらした教育と子育ての課題
「子育て」で悩んでおられる方はたくさんいます。ある程度、共通するお悩みとして、「この子、将来大丈夫でしょうか?」というものがあるように思います。
それで思うのは、一見、子育てとは無関係に思えるかもしれないけれど、労働形態などの社会的歴史を把握しておくことが、保護者が抱く不安を軽減し、将来を予見しながら子どもの「いま」を支えるのにつながるのではないかと思っています。
例えば、子どもと教育とのリンクが難しくなってきたのには、教員に問題があるとか、子どもの能力が低下したとか、そういう目線でなく、時代の変遷の結果として見る必要もあるように思います。
このことを、精神科医の滝川さんは次のように書きます。
滝川さんも書かれているように、とはいえ、子どもたちが社会的な経験を重ねられる場は、現代社会においては学校のほかにほとんどありません。ですから、矛盾と困難を抱えつつ、子育てと学校教育とはリンクを続けています。
これから先、労働形態はどのように変化していくのでしょうか。様々な領域でAI化が進む中で、どのような職種が残っていくのでしょうか。このような目線で、子育てと教育とを考えることも求められるのかもしれません。
滝川さんも書かれているように、統計上は、乳児死亡率・子どもの殺人事件が劇的に減少しており、現代ほど子どもが護られている時代はない中で、それでも「生き辛さ」を抱える子どもがいるのはなぜなのでしょう?
子育てをめぐるあらゆる「支援」が「矯正」ではないことを、願わずにいられません。
どんな時代にあっても、精神分析は役に立つように思います。それは、生を育むうえで大事にすること、力を注いだらよいことがわかるからです。そして、子育てにおいても「大丈夫」と思えることが増えることと思います。
哲学するようにあんまり深く考えなくても、ふっと思考を日常から離れて、普遍的なものとか、いまも残っているもの、本質的なこととかに思いをめぐらすと、大切なことがわかるのはきっと私だけではないと思うのです。
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