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自分の体の中には、自分で治そうとする力がある、ということ。

この言葉は、母の主治医の言葉である。母が、初期の肺がんの手術の時の執刀医。

私が心臓の病気になった翌年、咳が止まらないため、その先生のところに行って診てもらった。

検査結果を聞いてから、先生は私が当時抱いていた不安を、耳を傾けて時間をかけて聴いてくれた。

目の奥の色が、深緑色をしていて、真っ直ぐにこちらを見て話してくれる先生だ。その目の色に、引き込まれそうになるくらいだ。

きっと、たくさんの、様々な症状の患者さんを診てこられたのであろうことは、医師の態度や表情、話し方でわかる。

その日は、
診察→検査→診察

だったのだが、2回目の診察時はひとりで通って診察室に入った。

先生からは、
「患者である君よりも、お母さんが不安になっている。一緒にいると君が不安になってしまうから、お母さんとは少し距離を置いて過ごしなさい。」との話があった。

そして、先生は真っ直ぐに私の目を見てこう言った。

「自分の体の中には、自分の力で治そうとする力がある。自分の力を信じなさい。」

と。

この言葉は、病と共に生きている私にとって、支えとなっている。

『私の病気は、原因不明の治療法の確立されていない病気』だ。

色々な制限の中、進行を遅くしたり、抑えたりする薬を毎日飲んでいる。

塩分制限、水分制限、理学療法士や主治医から、許可されている運動をしながら、日々過ごしている。

現状維持すること、これも、

【自分の体の中にある、自分で何とかしようとする力】

だと思うのだ。

【治そうとする力】というより、【生きようとする力】のほうが近い。

正直言って大変だ。でも、生きるためにはやらなければならない。

先生が言った言葉は、全てのことに当てはまると思う。治る、治らないかは別として。
病気か病気でないことも、関係なくて。

この先生、実はもうひとつ名言がある。

この診察から、2年後くらいだったろうか。
喘息があるからかもしれないけど、またまた咳が止まらないので、先生のところへ。

受付で、「お薬手帳」を提出して、私はうっかり「お薬手帳」と一緒に入れていた、「血圧手帳」も提出してしまった。

これがですね、毎日のいくつかの数値を書いているだけではなく、その日の体調についても細かく書いていて(血液型はB型なのに。)、時には文句を書いて、病院に行く前にその上に、マスキングテープを貼って隠しているんだけども。

「呼ばれるの遅いな。」と思っていたら、呼ばれて診察室に入ると、先生が笑っていたのだ。

「なんだこれは。君はわかりやすい。手帳を見るとギッシリ書いてあるか、書いてないか。ギッシリ書いてある時は、体調が悪いか精神的に落ち込んでいる時だ。」

自分では、気付かなかったことだった。

私は、心臓の他にもいくつかの病気がある。ちょうどその時期、信頼している主治医が代わることで、落ち込んでいた、

その話をすると、私の中で『偉大なる先生』は、一瞬目の中の色が曇った。私はそれを見逃さなかった。

先生は、私に話し始めたのだ。
自分の大学時代の後輩が、自分の専門分野の病気になったこと、先生を頼って転院してきたこと、自分はその命を救えなかったことを。

私はその時、世間て狭いな、と思った。
何故なら、亡くなった医師は、私の高校時代の恩師の主治医だったからだ。私の恩師は、「俺は、これからどうしたらいいんだ。俺よりも、主治医が亡くなるなんて、思ってもみなかった。」と。

でも、そんなこと話せるはずもない。
『偉大なる先生』は、その話をした後、
「僕はね、一線から外れることにしたんだ。」
と、
『先生、泣いてるんじゃないか。』と思ってしまうような、力のない声で言ったのだ。

私には伝わってきた。
「自分は、救えなかった。」という気持ちが。

そこで私は、先生にこう言った。

「私は、先生の言葉に救われましたよ。先生は、前に『自分の体の中には、自分で治そうとする力があるから、自分の力を信じなさい。』と言いましたよね。私はいつも、その言葉を胸に、頑張ってるんですよね。」

と。

先生は、「君は、僕の言葉をおぼえていたのか。」とびっくりしていた。

そう。私は医師と話したことや、どう思ったか等をノートに書いているから。
1日で、一冊がなくなってしまうこともある。

私が、自分の思っていることを伝えた時、偉大なる先生は、びっくりした後、いつもの目の色の先生に戻ったような気がした。

先生が悲しそうにしているから、咄嗟に出た言葉だけれど、嘘ではないし、先生への恩返しの言葉だ。

すると先生は私に、

『医師から学ぶことは、病の知識だけではない。生き方や考え方を学びなさい。』

と、また名言を下さった。

ありがたき言葉を、またもや頂いたので、私は先生に、

「先生には、長生きしてもらわないと困りますからね。」と言って診察室から出たのである。

この日を最後に、『偉大なる先生』のところに行くことはなくなった。

風の噂では、先生は「病気の予防」や「病気を早期発見する」先生をしているらしい。

私は、その最後の言葉を忘れずに、いつも主治医たちに真剣に向き合って、病と共に生きている。

真剣すぎて、ぶつかることもあるけれど、それでいいんじゃないかと思う。だって、自分の体のことだから。
そして、それは主治医たちに伝わっていると思うし、私は『偉大なる先生』の言ったように、先生たちから多くのことを学んでいる。

学んだことについては、のんびりとそのうち書きたいと思います。

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