空飛ぶにゃーにゃ

プロフィールは、タイトル【自己紹介】に書いています。のんびり更新。

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【自己紹介】

『noteはじめます。』 確かこんなタイトルで、初めてnoteに文章を書きました。 今読み返しても、「なんじゃ、こりゃ!」と思う、自己紹介とは言えない文章です。 「note始めてみたー。緊張するー!」 こんな感じ。 なので、改めて【自己紹介】を。 ★時間は有限。だからこそ、「今この時」を大切に。 2011.8~ 「特発性拡張型心筋症」という、原因不明、治療法の確立されていない、心臓の難病と共に生きています。(他にも、いくつかの病気あり。) 運動制限あり。(スポーツ

    • King&Princeありがとう!〜You are forever 「Beautiful Flower」 for me.

      今日で、「5人のKing&Prince」が終わってしまう。 昨年11 月の、忘れもしない「あの日」。 twitterには、5人のFC動画や様々な動画が流れた。 私は今でも、いや一生、いや死んでも忘れない。あの時の動画、5人の泣き顔、そして先日のFC動画での5人の様子を忘れるものか。 全てのSNS、そしてテレビでの露出も減った。 その出来事と同時に、私の血糖値歯上がり始め、皮膚の希少がんも見つかり、決して忘れない年となった。 でもさ、どんなに辛いことや悲しいこと、悔しくて涙を

      • 切り傷を侮るなかれ。

        右鼻付け根にできた切り傷。 約11年前の夜中に、実家の階段から落ちて眼鏡が壊れた時にできた小さな傷。 ただの切り傷だから、と病院には行かず自分で処置したように思う。 今から約2年前だろうか。 その切り傷が、黒いホクロのようなものに変わる。 最初は気にしていなかったが、母や妹が私の顔を見て「ゴミがついているよ。」と言い出してから、少しだけ気になるようになった。 そして近くの皮膚クリニックへ。 大きさを測定したり、カメラでホクロの写真を撮ったり、ルーペでホクロの様子を見たり。

        • 誰でも、残された時間のほうが短くなる日がくる。それを感じた時に、人生全てが愛おしく思えるんだ。

          母が1月末に、かかりつけ病院で「リウマチ性多発筋痛症」と診断され、現在定期的に通院し投薬を続けている。 そして先日、母はもうひとつ病名が増えた。 「パーキンソン病」。 私の祖母であり、母の母親と同じ病気だ。 数年前から、母の歩く歩幅が狭くなり、ゆっくりと歩き、同年代の女性よりも随分と年齢が上に見えた。 手も動きが鈍くなり、趣味の手芸をしなくなり、料理も色々作って、お裾分けをしてくれていたのに出来なくなっていた。 ペットボトルのキャップも、自分で開けられず、私が開けてあげて

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          私はたぶん、キラキラした舞台に立ちたかったんだ、と思う。

          何か月ぶりに、noteに書くんだったっけな。 大変ご無沙汰しておりました。 あっという間に3月。 この1年、病院と週1度の買い物以外、外出を控えお籠り生活をして、もうすぐ誕生日を迎える次第です。 基礎疾患があるため、自分の命を守るためにおとなしくしていました。(今も続いているけど。) とはいえ、夫がエッセンシャルワーカーなので、毎日が気の抜けない生活。 そんな中、ひとつ歳が増えてしまう。 なんだ、この歳の増え方、納得いかぬ。 しかし、このお籠り生活を楽しいものに変えてく

          私はたぶん、キラキラした舞台に立ちたかったんだ、と思う。

          しばらく投稿してないなー。健康診断が再検査だったり、父親が肺腺癌になったり、愛猫が19年間の生涯を終えたりと、今は書く気力がありません。 そして!毎日の感染者が半端ないでございます。毎日、毎日更新しているので、おとなしくしている次第です。

          しばらく投稿してないなー。健康診断が再検査だったり、父親が肺腺癌になったり、愛猫が19年間の生涯を終えたりと、今は書く気力がありません。 そして!毎日の感染者が半端ないでございます。毎日、毎日更新しているので、おとなしくしている次第です。

          昨日は、「主婦休みの日」だったそうです。

          こんな日あったのね。 今、私は専業主婦である。 本当は働きたいのだけれど、『自己紹介』の記事に書いたとおり持病持ちで、主治医からは「無理をしないように。』と言われているため、病気になってからは、心臓に負担がかからぬよう、現在は働いていない。 といっても、 【家事は、立派な仕事】。 以前、テレビで情報番組を観ていたら、家事って給料に換算すると『月約40万円』らしい。 ウチは子供がいないのだけと、じゃあ、専業主婦で子供がいるお宅や、仕事もしながら子育て、主婦をしている女性は

          昨日は、「主婦休みの日」だったそうです。

          とにかく、自分でやってみないとわかんないから。

          やってみないと、わからないから。 失敗したら、やり直せばいいじゃない、違う方法で。 私が失敗したからと、あなたも失敗するとは限らない。 私が成功したからと、あなたも成功するとは限らない。 だって、人それぞれ違うもの。比較しても意味ない。 もしも失敗したとして、自分で違う方法を考えて、今度は成功するかもしれないし、それでもダメなら、誰かが手を差し出して手伝ってくれるかもしれない。 ビルから飛び降りたような気持ちになったら、下で通りすがりの人たちが、布団を持って受け止めて

          とにかく、自分でやってみないとわかんないから。

          『チャンスをものにする』ってこういうことなんじゃない?って思った日。

          これは今日の出来事で、自分の判断力や決断力にも関わること。 そして私はひとり行動がきっと楽なんだろうな、自分と真逆な人と一緒に行動すると、エネルギーを奪われてしまうんだな、疲れる人とは距離を起きたい、ってことになって、それがいつも家族だからどうしようもない。 いやいや、今日の出来事がそもそもそんな大事なことなのか?ってことになるんだけど、私にとっては大事なことだった。 昨日私は、『MAQUIA』という美容雑誌を、事前に近くの書店に電話をし、在庫確認をしてから、取り置きを

          『チャンスをものにする』ってこういうことなんじゃない?って思った日。

          出来なかったことが、出来るようになった喜びは大きい。私は苦手なことを、少しでも克服したい、という話。

          私は昔から、とんでもなく不器用だ。 特に、指先を使う細かい仕事が。 にも関わらず、ピアノは長く続けることが出来た。 自分の指を、鍵盤に落とした瞬間の音。 そしてその音を聴きながら、情景を思い浮かべ、まるで歌を歌うかのように、感情を込めてピアノを弾くことが楽しかったのだと思う。 家庭科の評価は、常に『1』か『2』。 しまいには、裁縫が得意な母親に、課題であるスカートを作らせて、それが家庭科の先生にバレて、別室に呼ばれて怒られた記憶がある。 そして私は、手先が器用で家庭科が得

          出来なかったことが、出来るようになった喜びは大きい。私は苦手なことを、少しでも克服したい、という話。

          私は今日、久しぶりに泣いたのだった。

          先日、岸部シローさんが亡くなった。 『パーキンソン病等の病気で闘病中』と書いてあったが、『拡張型心筋症』で亡くなったらしい。 どのような経過なのかはわからないが、そのニュースは、私にとって悲しいものだった。 同じ病名だったし、パーキンソン病は、私の大好きだった祖母の病気だったから。 私は8月の中旬に、『特発性拡張型心筋症』という心臓の難病になって10年目を迎えた。 この10年で、色々なことがあった。 病名を告知されてからの絶望の毎日。 慣れない体から出る不安や、本当に具

          私は今日、久しぶりに泣いたのだった。

          猫と私。

          「私の人生の半分以上は、猫で出来ている」、と言っても過言ではない。 現在実家には、猫が一匹いる。 「六匹」のうちの一匹である。 六匹いたのだけれど、五匹が亡くなって、今は一匹となってしまった。 その一匹も、今は闘病中である。 人間の年齢だと、90歳を超えている。 六匹のうち上の三匹は、多頭飼いの家から一匹ずつ母がもらってきた。 下の三匹は、拾得物として某官公庁に収容されていたところ、拾得物の保管期間が過ぎてしまい、保健所行きになるところを、某官公庁で働いていた私が、実家

          実は私、King&Princeが好きです。

          私のジャニーズ歴は、母のお腹にいた頃から始まる。 「ジャニーズ」を知ったのは、ものごころついた頃、母の小物入れ用の引き出しを開けた時だった。 某ジャニーズグループの、ブロマイドやレコードが入っていた。 『この人たち、誰だろう。』 と思ったのを覚えている。 そして、テレビにそのグループが出る度に、母のほうを見たのだけれど、黄色い声を出すこともなかった。 私と妹が生まれる前、ファンだったのだろう。 たぶん、母の青春の1ページなのだ。 そして私は、きっと「ジャニーズグループ

          実は私、King&Princeが好きです。

          今日一日を乗り切りたい。

          本州ほどではないが、毎日30℃超えの日々だ。 『暑い!暑い!暑い!』叫んでも、どうにもならないことはわかっている。 ウチにはクーラーがない。→はよ、買ってくれい。 2台の扇風機を回しながら、家の窓全部を全開にして、今noteを書いている。→窓を開けるとホコリが入ってきて、モップをかけないと、喘息持ちの私は咳が止まらなくなる。 はあ、暑いのにモップかけるのかー。 と、文句を言いながらも、保冷剤を後頭部に当てたり、アイスを食べたり、手足をミズで冷やしたり、とにかく熱中症に

          今日一日を乗り切りたい。

          「自分の人生を生きること」は、もしかして『ものをつくること』に似ているんじゃないか?って思う。

          私は病気になってから、それまでよりも更に読書に浸る時間が多くなった。 自分の病気を、なんとか受け入れるべく、何らかの答えを探すために。 殆どが、死生観に関する本だった。本の感想だったり、自分の考えをノートに書いたりしているうちに、海底に沈んでいた私の心が、『ぷかーっ』と浮かんできたのである。 そして私は、同級生たちよりも、少し早くに下山することにした。 と言っても、死に向かっているわけではない。 例えると、走ることが大好きだった私が、歩くことに変えたようなものかな。

          「自分の人生を生きること」は、もしかして『ものをつくること』に似ているんじゃないか?って思う。

          帰り際、彼女は私に「See you soon」と言って、いつまでも手を振っていた。

          約6年前、公務員時代の同期会に出席した。 病気になってから、3年ほど経った頃で、まだ心臓リハビリをしていない時期。 自分が、どれだけ歩けるかわからない、不安を抱えていた頃だった。 仲の良かった同期から連絡をもらい、私は出席をすることにした。 それは、「みんなに会えるのは、これが最後かもしれない。」 そう思ったからだ。 病気になってからは、「いつか」ではなく、伝えたい時に伝える、会いたい時に会う。 そう決めたのだ。 それまで、家族の誰かに付き添ってもらって外出していたが

          帰り際、彼女は私に「See you soon」と言って、いつまでも手を振っていた。