『残りの時間のこと』を考えると、『今を生きること』ができる。
1日が過ぎるのが、とても早い。
これは、いつからだったかな。
だって、もうすぐ6月だよ。
毎年、同じこと言っている。
7月になったら、「半年経っちゃったよ。」
12月になったら、「もうすぐ1年終わっちゃう。」
そして年が明けたら、「えーっ!もう新年明けちゃったよ。」
これは、年齢のせいだけではない気がする。
私は、目の前のことに一生懸命だからです。
そんなことはさておき、私には使用済みのノートがたくさんあって、段ボールに「血圧手帳」や「お薬手帳」と共に保管してある。
使い終わったそういうものを、ポイポイポイ、ゴキブリホイホイみたいに、突っ込んでいる。
その段ボールは、本棚のある部屋(ウチの書斎)にあるのだけど、昨年引っ越してきてから、口を開けたまま中で散乱している。→整理しろよ。
さっき、その部屋に用事があったので、そのついでに段ボールの中のノートをパラパラとめくっていた。
まあ!色ペンで字がいっぱい!しかも、わざわざ色を変えて。
ノートには、その日の出来事、自分の思い、考え、病気のこと、主治医や関わった医師のこと、たまに看護師、両親、妹、家族のこと、友人のこと、まあ殆ど文句、苦情、もっと悪く言えば悪口。
そうじゃないことも、もちろん書いているけども。
色を変えることで、暗くなるようなことを、自分なりに工夫して、明るく書いたのだと思う。
しばらく読んでいたら、笑いが込み上げてきて、思いっきり笑ってしまった。
あまりに文句が多い時なんて、いつもより大きな字で書いて、1日で一冊使っていた。
ああ、恐ろしい。でも、面白ーい。
書いてあるのは、文句だけじゃない。
本や雑誌で読んだり、テレビで見たりラジオで聴いたりして、自分が感銘を受けた言葉を書き記している。
今読んでも、その言葉たちやその時の自分の言葉、医師、恩師、同期の言葉が、今の自分を励ましたり、褒めてくれている。
ノートに、日記のようなものを書き始めたのは、家族の初めての転勤から。
その時は、健康だったから、普通の日記。
でも、病気になってからの言葉とは、明らかに違う。引っ越しの時に、今の自分には必要ないな、と健康な時の日記は処分した。
段ボールに残ったノートたちは、捨てられない。
その時、その時の気持ちがたくさん詰まっている。
時間の重さや、今を生きる真剣さが、文章から伝わってくる。
ずしん、と。
今も、ノートに色々なことを書いている。関心のある新聞記事を切り貼りしたり、『今日は、ちゃんと薬を飲んだか』を、日付と◯で管理したり、付箋つけていたり。
前のように、色分けはしてないけれど、その辺にあるボールペンで書き続けている。
段ボールの中のノートの量が多いけれど、私にとっては『今を生きている証拠』のようなもの。
そこに書いてあることで、noteに載せようかなと思うものが、たぶんあると思う。
noteやっていなかったら、書きためたノートを読み返すことはなかったかな。
って、なんかタイトルとずれたかも。
まあ、いいや。