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綺麗な夕陽が、涙で滲んだ日
今から、約9年前の夏、8月初旬。
どちらの足だったか忘れたけれど、痛くて走れなくなって何週間経っただろうか。
湿布を貼っても治らない。
痛すぎて走れない。
日常生活に支障が出てきたため、初めて行く診療所だったけれど、隣町の診療所に行くことにした。
当時、私が住んでいたところにも診療所はあったが、機能していないに等しかったからだ。
診察室で、足の状況を話し、よく話を聴いてくれる医師だったので、
「起床時に、筋肉痛がして体がガチガチなこと」、「胸が苦しいかもしれないこと」、「健康診断は受けていること」等、足以外の不調の話をした。
医師の判断で、足だけでなく、胸部レントゲン、心電図の検査をすることになり、検査終了後待合室で待ち、その後診察室に呼ばれた。
医師から、「◯◯さん、心臓が大変なことになってる。病院を紹介するから、明日にでも行ってきて。直ぐに行って。」と言われた。私の心臓の状態を聞き、でもその「心臓が大変!」な状況が、自分では何が起きているのか受け入れられず、夢を見ているような気分だった。
医師から、病院への紹介状をもらってから、足のリハビリテーションを受けることになり、診療所でリハビリ(ストレッチ、マッサージ、足を温める等)を受けるも、頭の中は、心臓のことでいっぱいだった。
帰り道、車を運転して家に戻る途中、夕陽がとても綺麗だった。海沿いの一本道、車もほとんど通らないなか、私は夕陽に照らされ、泣きながら家に向かった。
その日の夕陽は、眩しくて綺麗で私を照らしてくれているのに、とてもとても悲しい夕陽となった。
もともと、虚弱体質ではあったけれど、大病になることもなく、風邪なんて鼻くそみたいなもんだった。
ブヨに刺されても、足に棘が刺さっても、何回も足の骨を骨折しても、私の体は痛みに耐え抜き、復活するのだった。
そんな私が、「至急、検査に行って。」と言われ、検査前なのに、『命の期限を宣告された』ようなものだ。
私の心臓は、頑張りすぎちゃったみたい。
休みなく、駆け抜けてきた私のせいで、心臓に負担がかかっていたのだ。
私の心臓は、悲鳴をあげていたのに、気づいてあげることができなかった。
ごめんよ、私の心臓くん。
にしても、私はこの年の1月に、都会の検診センターのようなところで、【健康診断】を受けていたのに。
そしてその時に、『胸が苦しいような気がする』と、オプション項目に、『心電図』があったので、受付に申し出たのだけど、健康診断の医師の判断で却下された。
理由は、「痩せているから、する必要はない。」とのことだった。
こんな感じなので、小さな町の診療所で、きちんと患者を診てくれる医師に出会えてよかったと思う。
私は、あの先生にとても感謝している。
命の恩人だ。
その後、実家が都会にあることから、結局先生に報告する機会もなく、今に至るわけだが、本当は直接先生にお礼を言いたい。が、今はその診療所にはいないらしい。
手紙を書くべきだったが、あの時はそのような状態ではなかった。
これがもし、都会で病院に行っていたとしたら、足だけを診察し、胸のレントゲンも心電図の検査もしなかったのではないか、と考えると恐ろしい。
だとしたら、私は今ここにいなかったかもしれない。
生きていなかった可能性もある。
診療所の先生のおかげで、私は今を生きることができているのだ。
私は運よく、いい先生に出会い異常を見つけてもらった。
地域のお医者さんである、『かかりつけ医』って重要だと思う。
『かかりつけ医』の先生って、ご自身の専門もあるだろうけど、オールマイティーに診察が出来るから、検査をして専門外なら、迅速に病院を紹介してくれる。
皆さんも、健康診断に行って、「やっぱり、なんか調子が悪いかも。」と思ったら、病院に行ってみたほうがいいかもしれません。
いや、そもそも【健康診断】は、何の症状もない、『健康な人』が行くところなのでしょう。
今思えば、足が痛くても、私は他の症状があったので、もっと早くに病院、診療所に行くべきだったのだと思います。
自分の体のことは、自分がよく知っている。
『気のせい』なんかにしないで。