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エッセイ:忘れられない一節

私は出掛けた時、基本的に書店に行きます。そこでブラブラと30分ほど本をつまんでいます。たまにグやロフトも覗くくらいしますが。
三月の下旬だったかな、いつもみたいに書店で本をつまんでいました。その日も、なんの気無し選んだ中原中也の詩集を手に取り、いつものようにてきとうな頁を開きました。その時に目に飛び込んできた一節が忘れられません。

「げに秋深き今日の日は石の響きの如くなり。」

読んだのは春先でしたが、この寂寥感たるや、一気に秋のような虚しさを感じました。石の響き、というのは、石畳の上を歩く時になる音のことでしょう。それがコツコツと空しく響く、秋の音はその響きのようだ、と。この一節が強烈に頭の中で反響しているようで、忘れられないままでいます。

「思ひ出だにもあらぬがに まして夢などあるべきか」

こちらもかなり印象深いです。直接的な表現でありながら、しっかりと味わうための深みがあります。なんか、ガムみたいですね。あんまり美味しくないやつ、スイカ味の。いい意味です。

それから少し経ってから、もう一度その書店に行って中原の詩集を購入しました。最近でも、気が向いた時にパラパラと摘んでいるんですけど、読むたびに味わい深い詩だなと思っています。

「ゆめみるだけの 男にならうとはおもはなかつた!」

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