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ゼロリスクを目指す人々

ちょっとした二者択一を迫られる場面がある。

例えば、外出時にカサを持っていくべきか判断に迷うときがある。雲行きは怪しいが、荷物になるからとカサを持たずに出掛けると、案の定、出先で夕立に遭ってしまう。「やっぱカサを持ってくればよかった」と雨宿りしながら後悔する。そんな経験が誰にも一度はあるはずだ。
 
人はリスクを回避するように行動している。足止めされたところで致命的なダメージは受けないものの、できることなら夕立に遭わないようにしたい。
 
リスクとは、つまり「不利益の見積もり」であり、危害性とその発生確率の掛け算で導き出される。掛け算なので、どんなに危害性が大きくても、発生確率がほぼゼロであればリスクはほとんどなくなる。危害性は、自然界のあらゆるものに内在されているものであり、外部から変化させることは難しい。しかし、発生確率は予防対策や隔離などによってコントロールできる。
 
目の前に飢えたトラがいるとしよう。その危害性は非常に高い。しかし、頑丈な檻の中にいて、堅固な鎖で繋がれているトラならば、あなたに危害を及ぼす確率はほぼゼロである。したがって、あなたは少しも生命を脅かされることなく安心してトラを見ていることができる。
重要なのは、危害性とその発生確率を正しく理解し、適切な対応を講じることである。これが「正しい恐れ方」と呼ばれるものだ。
 
「発がん性があるから」、「大事故になるから」といった危害性だけに注目し、実際の発生確率を無視して過剰に恐れるのは、まったくナンセンスな話だ。もちろん発生確率を完全にゼロにすることはできないが、檻の中で鎖に繋がれたトラに襲われるリスクが事実上ゼロであるように、危害性の大きさとその発生確率を正しく把握することで、無用な心配を避けることができる。
危害性とその発生確率の両方あるいはどちらか一方を、何らかの方法で完全にゼロにすることはできるかも知れないが、そのような飽くなきゼロリスクの追求は、不要な心配を生み出し、コストや時間をいつまでもダラダラと浪費するだけなのだ。
 
孫子の兵法に、
「彼を知り己を知れば百戦危うからず」
とある。
現代社会においても、この教えはリスク対応の基本として重要だといえる。つまり、対象(リスク)の実態を正しく理解することが、現実的で確実な安全策への第一歩であり、真の安心を私達にもたらしてくれる。

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