科学館で気づく 東洋哲学
週末はあそぶと決めています。
というか、いつの間にか決まっているが正しいかな。
子ども館の展示にある「宇宙展」を何となく見ていました。
今日は、わたしの浅い知識のアウトプットの為のに書いていこうと思います。
「空」を感じる
わたしは「空」(くう)を感じようとしていました。(少し内容が宗教っぽい?って思われそうですが、気になさらずに読みすすめてください。)
宇宙展では、地球と月、火星、水星、木星、金星、土星、太陽の比較模型が展示されていました。
子どもたちに
「地球と太陽ってこんなに大きさに差があるんだね」
「土星のリング素敵すぎんか?あの上走りたいわ~」
とまあ、浅い話で盛り上げていました。
その時にふと「あっ!これはフィクションなのかも」と。
最近読んだ教則本「自分とかないから」で学んだことを次のトピックで書いていきます。#自分とかないから
「空」ってなに
仏教の教えの一つです。
ブッダの死後700年の時を経て、現れた天才‘‘龍樹‘‘(りゅうじゅ)。
複雑化してしまい宗教としての危機を迎えてた「仏教」。
その教えを、龍樹はだれでもだいじょうぶな仏教ということで「大乗仏教」(だいじょうぶっきょう)として復活させました。
その教えの一つ
「すべてはフィクションである」
具体的に説明します。
例えば、わたしは父親。これは子どもがいてこそ認められるだけの、ただの幻想である。
うん。よく考えたらその通りですよね。
「自分」を無理やり役づけして私たち親は、「親なわたし」を演じているということなのです。
本には「自分というものは無い」が明確になると記されていました。
この本は、「自分はこうあるべき」から外れた瞬間に感じる苦しみみたいなもの、これを苦しみから解放することができる考え方を教えてくれます。
そして、この論理を展開していくといずれ行きつくのです。
「宇宙はわたし」
どういうことか。
境界線は無い
考えてみれば、わたしの身体はなにでできているのか。
今日食べた鶏むね肉となす味噌あえがわたしの身体に入りました。
その鶏はエサを食べます。
そのエサの招待は穀物です。
穀物は土から水分と養分、
そして、太陽の光によってできてますよね。
なすは土から養分と水分を吸収します。
太陽により光合成します。
虫や風により花が受粉します。
よって、わたしの身体はすべてとつながる。と言えるのです。
これを、仏教では「縁起」(えんぎ)といいます。
このように考えてみると、改めて「自分って無い」の意味がなんとなく理解できました。
さらに追っていきますと、宇宙もわたしも物理的な接触はないように見えて、じつはなにも境界線は無いのです。
ちょっと強引な考えかもっておもいました。
ただこれはわたしたちの見える世界は「全てフィクション」で片づけられてしまうのです。
わたしが太陽と認めた瞬間に成立している。
あああ、説明が難しい。頭がおかしくなりそうです。
まだまだ整理がついていません。
東洋哲学を非常にわかりやすく説明してくれているこの本。
ただ、一回読んですぐ完璧に自分に落とし込めるほど【東洋哲学】は浅くありません。
本を読んだ感想
本を読んだ感想とわたしの変化とは、
目の前の事象や物体、ひともすべてにおいてフィクションでそれが崩壊すると境界がなくなる。すべてはつながる。
これを知らぬ間に意識して感じようとしてしまっています。
そして、実践的に使いだれかが困ってるときに教えてあげたいです。
本はめっちゃ影響力あるんですよ。感動です。
わたしはひとり親であることに複雑な心境を感じていました。
この本にある【東洋哲学】という劇薬によってわたしは勇気が湧いてきました。
笑えたところ
P197の「達磨大使」(だるまたいし)と「皇帝」のやりとりは笑えました。
せっかくダルマさん皇帝に会い、仏教の教えを広げるチャンスが巡ってきたのに「言葉にならねえ」は間違ってるよってツッコミでした。
読書のインプットに対してアウトプットはやっぱり大事だなって思いました。
おわり