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宮沢賢治『春と修羅』序

はじめに

noteで一番やりたかったこと、それは好きな文章の感想を共有すること。
宮沢賢治は大好きな作家の一人で、子供の頃から言葉が紡ぎ出す彼の不思議な世界に夢中になりました。
実家にも、今の家にも全集がいくつかあります。
家族それぞれお気に入りの話があったりします。
(昔、私が気軽に聞いただけで、今も覚えているか分かりませんが…)

ちなみにプロフィールの画像や自己紹介の写真等は、花巻です。
先月、岩手に行ったばかりで、本当に良い旅でした。そちらの話はまた今度。

宮沢賢治童話村にて

さて、宮沢賢治の語りたいお話はたくさんあるのですが、まずはこちら。
著作権が切れているので、青空文庫さんで読めるようですね。

宮沢賢治 『春と修羅』

賢治のお話を今、私たちが読めるのはご遺族のご尽力の賜物です。
専門ではないので詳しいことは分かりませんが、ご家族が原稿を守ってくださったことって、すごいことだと思うのです。
昨年、実家を建替えました。曽祖父母や祖父母らのものをどうしたらよいかとても悩みました。父母と違い、私は流行りの断捨離をしがちですが、失うと戻らないものってあるんです。…ってこれも別の機会に。

なお、私は作品の文章から、言葉から主に解釈や感想を語ります。
私の考えには誰かを傷つける意図はありません。
自分も別な専門性をもっているため、37歳で亡くなった賢治について、ご家族が熱心であることにより起こる神格化のような問題も分かります。また私自身、子供の頃好きになった時の印象が強く、彼を神格化しています。
小林一茶なども大人になって読むと印象が180度変わりまして、自分には強くそのきらいがあること、当然ながら様々なことを論じるための専門性が足りないことを自覚しています。
本noteの記事は好きを詰め込んだ戯言であることをご了承ください。

春と修羅 序

さて、本題に行く前の言い訳が長くてすみません。
春と修羅は、賢治の生前に発刊された唯一の詩集です。
「永訣の朝」が有名でしょうか。

春と修羅 - Wikipedia

今やウィキペディアは概要を知るには便利なサイトになりました。
学生の頃は信用するなと言われていましたが、そして今も論文にはさすがに使えませんが、ざっと把握するためには参考にはなりますし、下手な論文より詳しいものもありますね。

今回はその「序」です。
「心象スケツチ」という副題にもあるように、また原稿の文字が波打つように、彼の心情が強く発露されている詩集です。
「序」の原稿は見つかってなかったと思いますが、どうしても序文の一つ一つの言葉について語りたかった。

「序」はまさに序文、詩集としてまとめた全体についての彼のおおまかな解説です。20代後半。中(厨?)二病という便利な揶揄した言葉がありますが(個人的にはこういう心情の吐露に対して使うことは軽すぎてあまり好きじゃないです。)、どんな人も、思春期に感じがちな繊細な葛藤にまみれたまま、大人になっていくことは至極当然のことです。そうした心情を造語で正確に吐露すようとする賢治の才能は、そしてここまで突き詰め続けられることはひどく純粋で、まさに天才的だと思います。

個人的な解釈です。
「わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です」
意味は違いますが「我思う、故に我あり」を思い出してしまう自我の定義。自我、むしろこの場合は自己を語る賢治ですが、人や物と交流し、広い世界で明滅した後は、光を残し骸は消えゆくものとしています。この光(交流)には彼の文章、心象スケッチも含まれ、そして、世界に在る物質は人の光と同様であるといいます。けれど、そうした自己や物質が残す光は、世界の歴史の中で埋もれ変質し、未来では違った解釈をされてしまうものだとするのです。
この後の「第四次延長」の解釈が難しいですが、数多ある光は、時間の先の感覚、永遠性や理想や想像の世界において、真の姿を残していくものだとするように思います。
この「第四次延長」、未来とする解釈もあるようですが、彼の「四次元」の使用例は「時間」をこえた先の、第六感のようなものにあるように考えます。この点不十分なので、もう少し捏ね繰り回したいですね。

ただこの序文は、作品を覆う彼の世界観の根本がわかるように思います。彼の世界には人が居て、広い世界観、第三者的、客観的な視点を強く感じます。ただ、この賢治の立ち位置も気になっています。贖罪や自己犠牲の精神も含め、あくまで導く者、伝道者、羅漢的な立ち位置がするんですね。このあたりも考えながら作品を読んだら、新しいものが見えてくるんでしょうか。

おわりに

さて1つ目の宮沢賢治はこんなところで。
自分は結構感覚の人間なので、文章は感覚で流してしまうところがあります。
でも、好きな文章をこうして丁寧に読み解こうとすると、感覚で流していた時以上に好きになるんですよね。好きを補強されていく感じがします。
調べていくと次に読みたいと思う文献も出てきますし、こうして模索しながら考えを整理し、文章にしていく時間の贅沢さは何物にも代えがたいものがあります。

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