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雲南日本商工会通信2023年5月号「編集後記」
前号の「編集後記」で、
しかしその構造は、「知的エスタブリッシュメントが集まるリベラル層」と「それ以外の保守層」に分断するアメリカに近いと言えます。
という文章が出てきます。会員の方から「意味がよく分からない」とのご意見をいただいたので、「男はつらいよ」を題材に説明を試みようと思います。独断的かつ、二項対立で単純化した説明なのですが悪しからず。
私は「男はつらいよ」(松竹)を20回以上、劇場で見ています。かつて盆暮れになると毎回、父親に連れられて映画館に行ったからです。
庶民(=貧乏人)派インテリだった私の父は、「男はつらいよ」が大好きでした。監督の山田洋次は、庶民に寄り添った作品を作ることで有名です。松竹の同期には大島渚もいて、山田と対照的に前衛/芸術志向でした。国際的な賞を獲って脚光を浴びる大島渚に対して大衆的な作品ばかり作る山田洋次は、専門家から「格下」の扱いを受けていましたが、父親はむしろ、庶民を置いてきぼりにしがちな大島渚の作品を嫌っていました。
さて話を戻すと、「男はつらいよ」では寅さんとは真逆の「インテリ」がよく登場します。学問ばかりして、人生の機微や金儲けなどに無頓着なインテリたち。寅さんはその弱点を突いて彼らをからかい、笑いを生み出します。一方で寅さんは、彼らが世の中のために尽力していることを知っており、リスペクトもするのでした。
「男はつらいよ」の第一作目(1969年)が上映されてから11作目(「寅次郎忘れな草」1973年)ぐらいまでは、ちまたの知識人の多くは貧乏人の味方(したがって必然的に左翼的)でした。そのような世相を反映し、「男はつらいよ」では庶民とインテリの幸福な関係が描かれていたわけです。
ところが、高度経済成長がピークを迎える頃(1973年)から、庶民は貧乏人ではなくなりました。貧乏人に寄り添っていたはずのインテリは置いてきぼりをくらってしまいます。
寄り添うべき対象を失ったインテリは、発展途上国の貧困や局地戦争などに目を向け始めます。同時に、彼らは知識産業に向いていたため、大企業(特に金融業、製造業、広告業)から好待遇で迎えられることになります。インテリは「左翼的なマインドを持ちながら、社会的に良好なポジションを持つ存在」になりました。
一方の経済的に豊かになった庶民(かつての貧乏人)は、足元の問題ばかりに目を向ける習慣が抜けません。「大きな問題」に目を向けない庶民に、インテリはいらだち始めます。その結果、「庶民とインテリの幸福な関係」にヒビが入ります。
でもここまでは大した問題ではありませんでした。問題をこじらせるきっかけは、2000年以降、庶民が再び貧乏になり始めたことです。
インテリはかつて庶民(=貧乏人)に寄り添ってきました。だから再び「庶民とインテリの幸福な関係」を構築するチャンスです。
ところがそうはなりませんでした。庶民は、目の前の問題(良い職が欲しい、もっと高い給料が欲しい、税金を安くしてほしい)に関心があります。ところがインテリは、彼らの声に耳を傾けはするものの、それ以上に、今でいうところの気候変動問題とかLGBTQなど、庶民にとって縁遠い問題を鋭く提起します。なぜなら社会的に良好なポジションにある彼らにとっては、庶民の眼下の問題は地球規模の問題ほど重要には思えなかったからです。
庶民も庶民です。このときの彼らの願いは「かつてのような豊かな暮らし」、「誇るべき経済大国・日本の再興」になりました。その結果、高度経済成長に貢献し、経済再興を目指す保守党(=自民党)を支持しがちになります。
もちろん、それはインテリにとっては唾棄すべき発想です。彼らはそんな庶民に怒り、嘲笑するようにもなりました。庶民もまた、そんな高飛車なインテリを軽蔑し始めました。今では、気候変動問題とかLGBTQに注目するインテリに対し、「陰謀論」みたいな観点でディスる人が少なからず現れています。あるいは、インテリの論理に保守派が反論を試み、それがしばしば的を射ていたので論争がエスカレートしました。
こうして、「庶民とインテリの幸福な関係」は完全に破綻し、エリートと庶民の分断が進むことになりました。
アメリカでも似た現象が生じています。日本の「インテリ」は、アメリカでいえば「知的エスタブリッシュメント(代々学歴の高い層)が集まるリベラル層(世界をもっと良くできると信じる人々)」です。彼らは賢いので、いい大学を卒業してITや金融などの業種に就きがち。地球規模の問題に関心が高く、その多くが民主党支持者です。
そして日本の「庶民」は、アメリカでいえば「それ以外の保守層」であり、以前のようないい暮らしができなくなった白人が多く、共和党支持者です。彼らもまた「以前の豊かな暮らし」、「偉大なアメリカ」に戻ることを夢見ており、保守党(=共和党)を支持します。
庶民にやさしい政策を選ぶ伝統があるのはむしろ民主党なのですが、彼らは同時に未来志向の改革者でもあります。気候変動問題やLGBTQなど、彼らの切実な問題とは縁遠いトピックを、上から目線で次々と“啓蒙”してくるので、それが彼らにとっては我慢ならず、「陰謀論」を駆使して批判することになります(実のところ、リベラル層の進めてきた社会改革が、「それ以外の保守層」を階層転落させると同時に、「リベラル層」をさらに豊かにさせる傾向にあったのは事実と言っていいかもしれません)。
その結果、アメリカでは大きな分断が生じています。以前は「民主党(=福祉寄り)」と「共和党(=自由放任)」を行ったり来たりしてバランスを取っていたのですが……。日本はアメリカほどではありませんが、今後さらに分断が加速するのではないかと心配しています。
以上、「『知的エスタブリッシュメントが集まるリベラル層』と『それ以外の保守層』に分断するアメリカ」について、「男はつらいよ」を題材に説明してみましたが、かえって分かりにくかったかな……。