殻
私は、1日の始めに卵を食べないと落ち着かない体だ。
食欲がある時、私はいつも朝ごはんをしっかり食べる。朝食のラインナップには、必ず卵を入れることで、1日の始まりを意識するようにしている。
調理の過程。自分好みの食感。これらを全て再現できると、「今日も1日頑張ろう」という気分になるのだ。自分なりのモチベーションの上げ方?なのかもしれない。
卵の大切さに気がついたのは、ドイツに留学した時だ。当時は(今も)心配性で、サルモネラ菌の撲滅に心血を注いでいた。
ドイツでは、日本とは違い卵の洗浄を行わない。殻の表面には、鶏の体内にあった茶色いもの(何とは言わない)や、鳥の羽が付いている。そのため、生で食すのは怖い。
(お食事中の方がいたら申し訳ないが、気になる方は調べてみてほしい。)
よく火を通すようにしていたため、白身も黄身も固まり、ボソボソする。また熱を通しすぎて、卵がフライパンに焦げ付いたこともある。慌てながら爪研ぎ紛いのことをして、汚れを完全に落としたことは、自分の中では達成感のある出来事だった。
そんなある日、熱する時間を減らす試みをした。インターネットで調べたところ、所定の温度で1分以上加熱すれば、大体のサルモネラ菌は死滅するらしい。
「少しくらいなら熱さなくても大丈夫だろう」と思い、フライパンに卵を割り入れる。何かが手についているのも嫌なので(何とは言わない)、しっかりと手を洗う。そして、透明な蓋の外から中の様子を見つつ、目玉焼きを取り出した。
見た目は、半熟の目玉焼き。箸で割ってみると、とろりと黄身が溢れ出す。醤油をかけると、自分が求めていた味がした。懐かしい味であり、慣れ親しんだ味。
数時間経ち、1日の終わりになっても自身の体調に変化はない。お手洗いと恋人になることもなく、ピンピンしている。ある意味、心配しすぎて損したなぁ…と思いつつ、次の日からは自分の好きなように料理をしようと決めた。
そんな経験をしてから、数年が経った。日本で卵を調理していると、いつものワクワク感がないことに気がついた。
殻を割ることに失敗して、黄身が溢れてしまうこと。お皿に移すときに、フライ返しに乗せられなかったこと。「あーーー!」と叫ぶこともあったが、最近それも減ってしまった。
そこで、私は調理方法を変えてみることにした。
そう、「茹で」である。
私がゆで卵を作ると、「固茹or温泉卵」という二極化になってしまう。これも、自分の好きな食感を作るまでの感覚が掴めていないせいだろう。
何度か実験を繰り返すと、沸騰したお湯に中火で7分位が自分の好きな食感だとわかった。最初に食べたときは、黄身をこぼして大変なことになったため、今では皿を下に置いている。
また、殻を剥く感覚が占いに似ているところも好きだ。卵が茹で上がってから、ぐるりと一周殻にヒビを入れる。
ヒビが入ったところから殻と薄皮を取り除き、指の側面で押すと剥きやすいことに気がついた。
(一回、この方法が通用しない曲者卵にも出会った。この話は気が向いたら、またはリクエストがあったらしようと思う。)
うまくむけると嬉しいし、良いことがある。ボロボロになったり、原型分離をしたりすると、その日に悪いことが起こるかもしれないと予想する。この占いをしないと、1日が始まらない。いつの間にかこのように考えるようになってしまった。
ここから、卵は私の生活の一部に入るようになった。卵がスーパーマーケットから消えたら、私は間違いなく発狂するだろう。
「いいことあるといいな」と思いながら、卵の殻に指を入れること。口いっぱいに広がる、卵の風味を楽しむこと。
これが、1日を楽しく乗り越えるコツではないだろうか、と私は思う。