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希望する人になりたくて
大学受験に向けて勉強中のある日、私は近くにあるものを壁に投げつけたい衝動と戦っていた。参考書の問題が全く解けず正解のヒントは見逃すわ、全く興味の無いことは頭から五秒で抜け落ちるわでさんざんである。
「そもそも、これを学んで今後の人生に役立つのか。いや全く役立たない。」
という反語のお手本のような独り言を呟き、漫画アプリを開いた。これが、今の私と「エスペラント」を繋ぐきっかけとなる。
当時、面白そうなものはないかとアプリを漁ると『僕らは楽園で結ばれる(Ni estos ligilaj en paradizo)』という漫画を見つけた。読み始めた理由としては、初めて聞くエスペラントの存在が面白そうだったからだ。
ページをめくっていくと、初めて見る単語が羅列されていた。隣に和訳が無かったら、決して読めなかっただろう。
理解できなかったことが悔しかったため、細かく調べると
・作成者はとある眼科医
・「全ての人にとって習得しやすい」をモットーにした国際共通語
という情報に行き着いた。
「これが本当なら、三歩歩いたら全てを忘れる私にも習得しやすいことになるなぁ。…本当か?」と思い、スマートフォン内にあった外国語学習のアプリを開いた。
緑色のフクロウが有名なそれは、多くの言語レッスンに対応している。奴はサボるとメンヘラ化するらしいが、知ったこっちゃない。検索するとエスペラントコースを見つけたため、学習を開始した。
そして、その利便性に気が付いてしまった。
まず英語よりも覚えることが少ない。例えば、名詞を複数形にしたい場合は、後ろにjを付けるだけ。
このシステムがあることで、
「appleの複数形はapplesだけど、sheepの複数形はsheepです。」という例外が来て、
「s付けないんかーい!(心の声)」
と怒りを我慢しなくて済む。
また、動詞の不規則な綴りを覚える必要がない。そのため、”take, took, taken…”と必死に呪文を唱えた自分に「エスペラントやっとけば楽だよ!」と教えたい。
英語と似ている部分もあるし、次はどんな単語が出てくるかが楽しみになった。その結果、少しずつ沼にハマっていった。
エスペラント沼に浸かり始めてから数か月後。学校の授業で、自分が好きなものをアピールするというお題のプレゼンがやってきた。
「これはラッキー、エスペラントがあるじゃん!」と発表の構成を組み立てていく。スライドの中盤で、聴き手も参加する企画は作れないかと考え始めた。話を一方的に聞くだけでは、皆眠ってしまうに違いない。
そこで思いついた。
「そうだ、”Esperanto”(エスペラント)という単語の意味を皆に聞こう。絶対に良い引っかけ問題になってくれる!」
実はこの単語、「希望する人」という意味を持っている。
この言語を使えるだけで、なんだか前向きな気分になれそうだなぁと考えたのも沼落ちの理由の一つだ。
クイズをスライドに書き込み、以下の三つの選択肢を作成した。
①希望する者
②誇り高き言葉
③世界への橋渡し
台本を制作する際にも、エスペラントは世界のどこでも話せることを強調する。さて、皆引っかかるかな…と心の中でにやけていると自分の番がやって来た。
発表が進み、クイズの部分に差し掛かる。「今までの発表内容で種は蒔いたぞ、どうなるかな」と思いながら、皆に回答を促した。
「それでは、一番だと思う人は手を上げてください。」
誰も手を上げなかった。
「それでは、二番だと思う人。」
誰も手を上げない。
「それでは、三番だと思う人。」
全員が手を上げた。これほど嬉しい瞬間はない。
「皆さん、ありがとうございました。実はこれ正解…一番です!」
正解を発表した瞬間、現場が少しだけどよめく。なるほど、普段定期テストで引っかけ問題を作って楽しむ先生の気持ちが分かった。
これは楽しい。クセになる。
プレゼンが終わり、私は心の中で飛び跳ねていた。
緊張のせいで早口にならなかったことと、エスペラントの魅力を伝えられたことが嬉しかった。
これがきっかけでたくさん勉強していきたいと感じたが、その後エスペラントの存在は遠のいた。受験や日々の課題等に追われ、熱がすっかり冷めてしまったのだ。
しかし現在、とあるnoterさんのつぶやきがきっかけでエスペラント沼にどっぷりと浸かっている。それが、こちらの一言。
「“Duolingo(英語)”を始めました!」
例のフクロウさんの写真が追加で投稿されていたことで、件のアプリを思い出す。しばらくすると、他の方々からも一緒に学習を頑張ろうというメッセージが送られてきた。
周りにエスペラントのことを話せる人は少ないが、もう一回学び直してできるようになりたい。あの楽しさをもう一回味わいたい。
その思いからnoterさん達をフォローし合い、一緒に学習を進めたら熱が再燃した。最初の目標だった「1週間続ける」を越して、現在40日以上続いている。
noteが人同士の縁を作ってくれたことで、私の言語沼落ちが再び誕生したのだ。
これからもこの状態を(溺れない程度に)続けたいな、と思いながらスマホを手に取った。すると、友人からLINEでメッセージが入る。
返信の際にスタンプを開くと、懐かしい顔のタブが出てきた。そうだ、以前エスペラントを話すキャラクターのスタンプを買ったけど使わなくなっちゃったっけ。
試しに”Toston!”(乾杯!)というスタンプを押すと、トーク上に送信される。大きく表示されたその丸顔は、自信に満ち溢れていて「久しぶり」と言いたげな表情をしていた。
しかし、友人からの返信はこうだった。
「この子は…なんだっけか…」
そして私は大泣きしているメンダコのスタンプを送り付けたのだった。