音で作られた仮面
「アニメみたいな声してるよね」
この言葉をかけられた日から、自分の声を気にするようになった。
私の声はあまり高い方ではないと感じている。他の人と比べても(多分)低めだ。
持って生まれたものがたまたまそうだった。それだけの話。
他者とコミュニケーションを取るときに、前面に出てくるもの。その要素の一つが声だと感じる。
中には、「見た目が重要。中身まで見られるには、見た目という関門を突破しなければならない」と反論する方もいるだろう。
確かにその通りだ。
だが、相手の声を聞いていて落ち着かない場合はどうか。どうしてもイライラしてしまう場合はどうする。
答えは、「おそらく一緒にいることはできる。だが、事件でも起こらない限り距離は縮まりにくい」である。
ボイスチェンジャーを使わない限り、変えられない自身の声。
今回はそれに関して、自身が抱いた悩みについて書こうと思う。
あくまでもこれは自身の意見であって、「当たり前とされていること」を否定したいわけでは無い。その部分だけご了承いただきたい。
まずは、声に関するあれこれについて。
一般的には「声が高い方が良い」という概念が染み付いている…と常日頃から考えている。
ところがどっこい、私の場合はそうではない。
声だけのコミュニケーションだと、怖い人?と誤解されることがある。
それを象徴しているのが電話だ。
受話器を取り、お礼の旨を伝える。そこから相手の要件を聞き出す。
「世の中でやりづらいこと・苦手なことランキング(当社調べ)」の上位に食い込んでいるせいで、緊張して早口になってしまうのだ。
誤解を招くかも知れないが、私が苦手なのは「電話口で他者と話すこと」ではない。話すだけなら割と大歓迎である。
(誹謗中傷・からかい等のくだらないことはお断りだが。)
声のトーンを変え、言葉遣いを隅々まで研ぎ澄ます感覚が苦手なのだ。
受話器を取った瞬間、自分の心に大慌てで鎧を着せる感覚がする。
上手く着せられない結果、言葉遣いが変になったり、相手の言葉が聞き取れなくなったりする。
それに加え、以前に「声が低くて怖い」と指摘を受けたことがトラウマになっているのかもしれない。
「声を変えなきゃ。でもそれは本当の私と話していると言えるのか?声音を変えて、人を騙すことが当たり前になって良いのか?」
言い方がかなり悪いことは、承知している。
この疑念が強く心に残ってしまい、いわゆる余所行きの声というものが作れなくなってしまう。
正確に言うなれば、抵抗感に支配される感覚がして動けなくなるのだ。結果、「当たり前とされていること」との矛盾に雁字搦めになる。
「それはお前自身じゃ無い。自分の持っているものを偽ってどうする。」
この考え方に基づいて生きることは、今後自身にとって不利になることだと自覚している。
ビジネスライクな態度で相手と接する場合、自分を出しすぎないことが肝になってくる。
パーソナルなことや、自分の個性を出しすぎたらあまり良い顔はされないだろう。(環境によるかもしれないが。)
それでも、自分の考え方を変えられないことは甘えと捉えられる可能性が高い。苦しい部分もあるが、割り切っていくしかない。
この考え方に基づいて行動する現在の私は、電話をする際、声音を大幅に変えないようにしようと決めている。
その代わり、相手を不快に思わせない丁寧な言葉遣いを頭の中に叩き込んだ。
相手の要望を承るとき。もし待たせそうな場合は(何かしらの方法で)きちんと伝えること。
「恐れ入ります。」
「〇〇ですが、お時間いただいてもよろしいでしょうか。」
瞬間的に言葉が出てくるよう、口の筋トレは済ませた。
当たり前だろう、と思われることかも知れない。だが、これらのことを気をつけることを自身の妥協点としている。
果たして、この考え方が正しいのかはわからない。恐らく、正解も不正解も存在しないだろう。
相手が好きな声音になるよう、自身の一部を変えて偽るか。声は低いが、言葉の使い方で相手との距離を縮めていくか。
自分が許容できる範囲で声を出しながら生きていく。それこそが今の私にできることだと思う。
ここまで書いて、大声を出しすぎて現在も痛む喉をさする。そうだ、喉を潰す勢いで叫んだせいで、咳き込みそうになったんだった。
明日は喉を休めよう。ストックしてある飴ちゃんはどこにあったかな。