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「書く」ことが最強。

「書く」ことの効能について改めて思い知らされた。
大ベストセラー「嫌われる勇気」の著者である古賀史健さんの『さみしい夜にはペンを持て』のアウトプット。


「喋る」と「書く」の決定的な違い

会話には基本的に相手がいる。そして、相手が言ったことに対して咄嗟に考えたアドリブ?で返事をする。
テンポよくボールを打ち返さないと健全な会話は成り立たないので、瞬時に頭に浮かんだ言葉をそのまま口から発する。
会話自体が良い悪いという話ではなく、ここにはあまり「考える」という行為がそう多くない。

一方で書くというのは、喋る行為よりも相対的に考える余白が大きい。
例えば、作文。
作文には必ず読者がいて(自分を含む)、読者がいることを前提に文章を書くから、相手に伝わる文章を目指して一生懸命頭を捻る。
「自分の考えていることはこの表現が一番適切か?」「こういう順番で書いたほうがよりロジカルで、受け手が理解しやすいのではないか?」など、
自分の頭の中にある考えをより正確に伝えるため、何とか工夫する。
書いては消し、消しては書く、というプロセスを必然的に何度も何度も繰り返すことになるのだ。
これこそが考える行為そのものであり、喋る行為との決定的な違いなのだ。

「書く」のは答えを出すため

めちゃくちゃ腹がたった時、泣きたくなるような悔しい経験、なんかモヤモヤするなーって日。こういう時に書くのが一番効果的。
なぜなら、そういう時に書く文章こそ自分という人間を知れるチャンスだからだ。
「なぜ、自分はこの場面でこの感情を抱いたんだろう?、この思いと似た過去の経験って何があるっけ?、その2つの共通点はなんぞや?それを絶妙に言い表せる適当な言葉・言い回しは?」という感じでひたすら書いては消し、消しては書いてを繰り返す。(かなり大変だけど。)
この答えを出そうとする行為こそが書くことの本質であり、
すなわち考えるという行為なのだ。
「いやいや、人間の感情なんか複雑なんだからどうせ答えなんて出ないよ」、って思考を止めちゃいけない。
とりあえず答えを出そうと頑張ってみる。これがめちゃくちゃ大事。
これを続けることによって、自分という人間のことをほんの少し知ることができるからだ。

そしてそして、それだけじゃなく、今後いろんな場面でぶち当たるであろう選択の場面で、「書く」ことの威力を発揮することができる。
自分なりに答えを出す、という訓練を少しずつ積み重ねてきたからだ。

最後に

『ゼロ秒思考』とかで書くことの大切さを痛感していたつもりだったが、
改めて「考える」手段としての「書く」って最強だな!って思えた本だった。

たか

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