喫茶店、散歩と読書その他 新高円寺あたり
地下鉄丸ノ内線は、荻窪駅すぐから新宿駅すぐまでの区間、青梅街道の地下を走っている。だから荻窪から新高円寺に向かうには、青梅街道をまっすぐ進むのが最短距離になる。
自宅近くのスーパーが閉店したので、お気に入りだった食品(一番はPBのブロックベーコン)を買うのに、系列店のある石神井公園か新高円寺に、ときどき足を向ける。
ご当地作家(なんて言葉はないが)の文庫本を買ったばかりだったので、この日は新高円寺に向かった。
青梅街道に限ったことではないが、幹線道路の沿道風景は単調だ。発見はない。好奇心も動かない。早歩きだと、散歩ではなくウォーキングになってしまう。だから、ゆっくり歩く。すると、退屈した脳みそが、勝手に妄想を始めだす。うまくいくと、これが歩いていることを忘れるくらい、面白く展開していく。「そんな馬鹿なことは」などと、ニヤついて独り言を呟いていたりする。
そして、向こうからきた通行人に不審の目で見られて、我に返る。
現実に戻って買い物を済ませ、ややくたびれたので、近くにある「ブーケ」なる喫茶店に入った。
昔はどこの駅にもひとつはあったような、古びてはいても小綺麗を保った喫茶店だ。
先客は、カウンターに陣取る常連と思しきおじさんひとり。
ぼくは窓際の四人席を選んだ。
注文は、ミックスサンドとコーヒー。
取り出した本は、木山捷平の「駄目も目である」。文庫オリジナルで編まれた小説集だ。
木山捷平は、第二次世界大戦中、高円寺に暮らしていた。その後、阿佐ヶ谷にも、西荻窪にも、荻窪にも。生粋の中央線作家と、呼んでもいい。
ぼくの大好きなB級(褒め言葉)私小説作家だ。おバカで軽く偏屈な人柄が溢れ出た作品は、純文学志向がありながら勝手にユーモア小説化している。品はあるが、格はない。才はあるが、天ではない。愛さずにはいられない。
講談社文庫で何冊も持っているし、古本屋で買い集めた初版本も結構持っている。だからこの本に収めてある小説も、だいたいは読んでいるはずだ。いいのだ、そんなことは。
ハムとタマゴとトマトが、間に挟まれた四枚の薄いパンを齧りつつ、ページを繰る。ひとりごとこそ呟かないが、顔はニヤついてしまう。常連と雑談していた、年配のマスターの視線を感じて、顔を引き締める。
帰る気配のない常連以外、ほかに客は入ってこなかった。それでいいわけはないが、それでいいような気もした。
店を出ると、あたりを夕闇が包み始めていた。
ぼくは高円寺駅へとつづく、パル商店街に足を踏み入れた。どこか戦後の匂いが残り、ちいさな店が雑多に立ち並ぶ細道を、木山捷平的と形容したくなってくる。
ご無沙汰の店、気になっているのに未訪の店を横目に、のろのろと歩くうち、ぼくまでが木山捷平化してきて、ついふらふらしかけるが、買い物袋も邪魔なので、飲み屋に寄り道せずに帰ったのであった。