「防災小説」にチャレンジ
ついにその日がやってきた。
我が家は海岸から約700メートル、海抜7.4メートルに建つ築25年の木造3階の戸建て。一階には歩行器や手摺を伝って生活する老親(96と95)、2階3階に我々夫婦と次女が暮らす。長女は武蔵小杉だ。
3階の自室で寝ていると、尋常でない「抗いようのない揺れ」に目を覚ました。スマホの緊急地震速報が鳴らないのは「午後11時から午前7時まで電断となるセッティングをしている」からだ。遮光カーテンの上端が明かるくないので、夜明け前と分かる。
亀のように体を丸くしながら目覚まし時計の照明ボタンを押すと、午前5時過ぎのようだったが動けない。
「動けないこと。動かない事」は、シェイクアウト訓練の知識で知っている。私は自治会の防災担当の一人(66)だ。
オンラインだが、鎌倉市の「防災リーダー研修」も修了している。
それでも現実は想像を超える。「ゴゴッ」といった聞いたことのない空気を揺らすような物音と振動があり、室内のキャスター付きの家具は横に1メートルの幅で往復し、飾り棚の品やスピーカー類はスタンドから落ちた。ようやく揺れが収束したのは、ボクシングの1ラウンド近く長い時間だったように感じた。家は何とか形状を保っていた。
寝ていたロフトベッドは、二面が柱に固定され一角が屋根材からボルトで吊られているが、固定の一か所のビスが切れたようで外れて傾いた。
それでもロフトに備えたバッテリーランタンを点け、目覚まし時計の照明ボタンを押して見ると午前5時5分だ。すると揺れの発生は5時2分くらいとなる。既に停電している。ランタンの明かりで靴下をはき、寝床に用意していたサイドファスナーのブーツを履き、造り付けのラダーを降りて床に立った。
二つ目のバッテリーランタンを付けて見まわすと、もともと散らかった自室の床は見えないほどだった。靴の上からジャージをはきオーバーパンツを履く。ダイバーズウォッチを左手に着ける。火の出るものは無いと思うが、コンセントから全てのプラグを抜いた。
今日は1月19日の金曜日だ。上衣を着替えて隣室の次女に声を掛けるとまだベッドの上で布団にくるまっている。
直近の網入りガラスが割れているので、布団の上にはガラス片が散っているだろう。
ガラス片と足元への注意を促して着替えるように言った。
二階に降りると、後付けの丸柱がズレて天井の一部が下がっている。食器棚は開き戸でなく引き戸式を選択し、自身で木片をビス止めして転倒防止しておいたのが功を奏し、無事だった。
妻は膝に猫二匹を抱えて布団の上に正座しこわばっているが、大きくうなずいた。洗面所の蛇口を開けると水が流れたので、浴槽に水を溜め、台所でタンクや容器に飲料水を確保した。通電火災に備えて取り合えず分電盤のメインブレーカーを落とす。ここで二階のカーテンを開ける。
人工的な明かりは目に入ってこない。月明りのみだ。1階に降りると、床にはあらゆるものが散乱していた。
LEDライトで照らすと老親は2人ともなんとか生きていた。食器棚の開き扉は開放して食器は床上でバラバラだ。開け閉めの際に使う開き防止具の手間は、高齢者には面倒で常用できない。この食器棚も木片で自作した転倒防止具を二か所天板と壁にビス止めしていたのが役に立った。
時計を見ると既に5時10分。揺れ始めから8分程度経過している。令和5年3月に全戸配布された「防災ハザードマップ」に記載された県の想定では、14分で13メートルの津波が海岸線に到達することが予想されていた。
我が家は海抜7.4メートル。海岸線から約700メートルの津波浸水域だ。
海岸に到達した津波は陸上を時速36キロで進む。約1分強で我が家に到達するのだ。
つまり、発生から15分間が第一波の津波から逃れるための持ち時間だ。
既に8分経過したことから、避難するならば家を出るまでに残された時間は7分間。近くにある津波避難ビルまでは3分。200メートル離れた高所、この予想浸水域から逃れるには3分が必要だから、ドアを出るまでに残された持ち時間は4分だ。
妻と次女にひとりづつLEDライトを渡して残り時間4分を告げ、猫2匹をケージに入れ携帯電話と非常持出キャリーを持ち、玄関に吊ってある色分けした自分用の「見つかる減災ベスト」を着て一時高所へ避難するように告げた。
そしてこの時、私も減災ベストを着用した。
私は老親に温かい服を着せ、履物を室内で履かせて玄関に備えている名前を書いたオレンジ色のライフジャケットを着せた。LEDライトやバッテリーランタンを使って誘導する。
これは生き残るためではなく、流されて不明者とならないための措置だ。
私たち夫婦はネックレスにドッグタグを付けて交換していた。タグには氏名、生年月日、血液型そしてお互いへのメッセージが刻まれている。
親世帯の分電盤のブレーカーを落とし、老親を外へ誘導してコンクリート壁で作られた通路下の5畳弱の物置へ3人で入った。時間を見るとちょうど津波到達予想の5時17分だった。幸い出火はしていない。
私はそこに保管してあったディンギー用に買ったドライスーツを着た。
chapter 2
「ゴゴゴーッ」今までに体験したことのない振動と音が体に迫ってきた。
過去の震災動画で見たように、津波が人間が構築した人工物を破壊しながら迫ってきたのだろう。そんな想像をした。
ドアの換気口から海水が侵入してきた。そして水位が上がってくる。冷たい。そんな時、備えておいた「自作シュノーケル」を思い出した。
呼吸を確保するために地上4メートルの高さの柱にホースを添わせて物置の換気口から中へビニールホースが引き込んであった。紫外線での劣化に備えプラスチックホースの使用は避けたのだが、大丈夫だろうか。
ここの海抜が7,4mなので、海抜12メートル弱の高さにホース先端がある。
津波の水面がホース上端を越えなければ、呼吸を確保できるはずだ。交互にホースの端を渡して3人で「呼吸の練習」をした。
物置の室内高は約1.4メートル。水位は既に天井ギリギリに迫ろうとしている。
母が、呼吸を終えた。父もホースを受け取って、もがいている。それは長い長い時間だった。10分くらい経過すると水位が下がってきたので、ドアを開けて外に出ようとするがドアが開かない。
流出物の何かが外開きのドアを塞いでいるようだ。ライトで物置を見回すと手鏡があった。ドアの隙間から差し出すと、ドアを塞いでいるのは流れて来た樹脂製の物入れだった。
物置に1メートルくらいの材木があったので、ドアの隙間から材木で少しづつ物入れを押し上げてドアが開いた。出られる。
ひとまず助かった。最も津波の第一波はという条件付きだ。人の入る所、それは物置内であっても「バッテリーライトを備えておくべき」だと思った。
老親を確認すると応答なく、既に「心肺が停止」していた。避難所暮らしはとても出来ないから「避難はしない」と言っていたが、水死させてしまった。
遺体の流出を避けるため、物置の扉を閉めて室内に入る。5時27分だ。
日の出までは1時間以上ある。
壁面を見ると一階の床上2メートル近くに浸水の跡があった。
外に出る。
ここで隣家二軒に声を掛けた。犬と二人暮らしの奥さんと、3人暮らしの家庭だが、憔悴した顔で無事を確かめ合った。
二軒とも二階に逃れていたと言う。
浸水域で地盤面の高さにある物置に入った判断は間違いだったと気づいた。
幸い隣接する横須賀線の踏切は開いていた。もしここで15両300メートルの電車が止まっていたならば「障壁となった電車」で踏切は渡れない。太鼓状の踏切に立つと、道路が下がっていく北側方面も浸水していた。
南側も元八幡の入り口の路地から先は海水が溜まっている。
線路上には人が大勢退避している。線路の海抜が約8.5メートルと比較的高いからだろう。だが、第2波が来れば確実にやられる。東へ逃げることにした。
線路を歩きながら見回すと、潰れた建物や黒煙を上げて燃える炎が4か所は目に入った。近隣の類焼は免れないだろう。踏切の北側にある消防車を収容する第28消防団の消防会館は無事なようだった。
歩きながら見ると一見して倒壊建物も多い。多くが傾いている。ようやくハザードマップの津波浸水域を離れて長勝寺に至った。人が溢れている。
福祉避難所だが海抜43メートルの「名越やすらぎセンター」を目指す。
センターへ向かう道路は、途中で崩れたり土砂で埋まったりしており、車は通れない。
通常ならば自宅から20分で歩ける場所だが、倍以上かかって辿り着いた。
途中「伝言ダイヤル」で妻と次女の無事を確認した。その時ラインが反応した。長女から「夫婦で無事」との事だった。
友人からの電話もあった。
福祉避難所に到着して驚いた。どうやって組織されたか知らないが「高校生を筆頭とした学生らによる避難所運営チーム」が発足し、既に動いていた。
長テーブルが設置され受付を準備している。取り合えず用意されたA4の再生紙に「住所氏名、年齢性別と持つ資格と技能」を記入した。
特筆すべきは「技能登録制度」だ。用紙の下半分に「大型自動車運転免許・小型車両系建設機械の運転の業務に係る特別教育終了」と記入した。
そこには情報収集班が組織され、テーブル上に地図が展開され
通行できない道路部分に✖。火災の発生場所に▼。動けない負傷者に🔶。
遺体に🔷が表記されている。高校生たちは、それぞれに識別ベストを分けて着用している。
受付・救護・情報・無線・トイレ・上水・下水・食糧・運営・運動・子供の遊び・乳幼児担当等、その名称は多様だ。
高校生等は「使命感に包まれた大人の顔」をしている。
長テーブルに置かれた液晶モニターはバッテリーに接続され、発動発電機が給電している。テキパキと配線が完了し、情報班のオペレーターによってドローンが離陸した。いつの間にか「やすらぎセンター」に隣接する材木座霊園の最上部の赤木圭一郎の墓碑近くの西端部には櫓が立っており、ドローンを目視飛行で操縦するためのオペレーターが二人で位置している。そこに設置されたライブカメラも自動運転を開始した発動発電機が電力を供給して情報を発信していた。
モニターに映る映像は、ドローンが人の見えないところの映像を映し出す。
モニターには受信された「見つかる減災ベスト」着装者からの発信電波が図上チームに連絡され」図上でその位置が見える化される。
それが「消防団員を中心とした救出チーム」に伝達される。
「見つかる減災ベスト」とは、背負う防災袋ではなく着用するアイテムで「防炎材に浮力体が内蔵し、背部に折りたたみヘルメット・胸部に飲料水700㏄を収容し全体がプロテクター構造」となって、圧死、水死、焼死のリスクを軽減するアイテムだ。浮力体には空気層があるので防寒着も兼ねる。
中でも内蔵する発信器は「人のバイタルに応じて信号」を発信する。
姿が見えない生存者を発見し特定するためだ。
ドローンがこの電波を受信して現場に到着すると「蛍光発色剤」をベスト付近に射出して、対象を見える化する。蛍光緑は生存・蛍光ピンクは遺体だ。
これはスズメバチ駆除ドローンの薬剤射出機能から派生した技術だった。
さらにこれらの位置は、図上班によって一元化される仕組みだ。
災害発生時には、高校生を中心とした子供たちに避難所運営を主導させ、その責務によって、子供たちの生命身体の安全を保全しながら、負傷者救護や運営などを任せ、危険リスクのある不明者の発見や救助等の仕事は成人のスタッフに一任する原則を理念としている。
既に消防団員を長とする救出チームが、2チーム組織され装備を整えている。全ては敷地内の防災倉庫にパッケージされているのだ。
通常災害時には民間のドローン飛行が禁止されるが、対策本部が消防ドローンの運用を確認したうえで、消防団やドローン協会の保有するドローンに支援要請を発することで、飛行禁止空域での運用が可能になっていた。
さて、いったいどうしてこんなにスムースに活動が出来るのか?
それは発災前に続けていた
①TRFのSAMが考案し、高校生がリーダーとなって住民の参加率と多様な運動能力に応じた動きを組み合わせたSNS動画対抗「誰でもダンス」の自治会対抗競技会(高校生リーダー3人が運営)
②慶応大学のチームが運営する廃プラスチックのアップサイクルで考案された「紫外線に強いプラスチックベンチの開発コンテスト」
③私有地の道路境界の余白部への「誰でもベンチ設置運動」
④中学生の「減災訓練を主とした地域の自治会活動への参加」が、教育項目(カリキュラム)となっていた。そこには当然避難所運営ゲーム(HUG)も組み込まれる。
⑤自治会毎に生活者のスキル登録制度が発足し「医師・看護・重機操縦・避難所設営管理・大工・土木建築・配管設備・自動車整備・無線通信・海技免許他」の資格が登録され
⑥保有登録制度として「オフロードバイク・リアカー・発電機・無線機・ドローン・重機や各種工具」の保有者がその名を連ね、有事即応体制が構築されていたからだった。
これで老人会化していた自治会組織が一変した。HPが作られてデフォルトが、デジタル化した。貧乏くじを引いたように仕方なく自治会運営をしていた高齢者等は、経験を若者に伝授するサポート側に回った。
こうやって「地域住民が相互に顔見知りの関係」となっていったのだ。
そう考えると確かにおかしな国だった。大人たちは子供たちを地域の生活から切り離し22歳(一部25歳)まで「学校へ閉じ込めて一律化した教育を与えた」
それが最善と信じたからだった。
地方の高校を出て首都圏の大学に進学すると、出身地を聞かれ出身地の様子を聞かれる。しかし生活が家庭と学校の往復に費やされるために、多くの子供たちは「地元を知らずに育つ」(灯台下暗し)からだ。
さらに就職後海外に出張すると他民族から「自国の様子を聞かれる」
しかし、日本人は日本を知らないで育つから、答えられないのだ。
そうやって「不思議な国ニッポン」が生まれていた。
国際社会では「自国を語れない人種」は信用されず受け入れられない。
地域や国を知らなければ、愛することが出来ない。
ある種、連合国側の「占領政策」が成功した結果ともこじつけられる。
ようやく超党派の国会議員が集まり、有識者を招いて国家の将来を憂う
「教育刷新会議」が行われていたが、教育を商売にしていた既得権益を手放し難い参加者等に、教育の変容を妨げられていた。
既にこの国の教育は「錬金術の一部」に取り込まれていたのだ。
自分の育つ土壌環境を知らないで育つ人。これではバランス感覚を持った健全な国民が育たない。
情報伝達の速さとSNSの台頭は、成果主義・効率主義・能力主義を促進して
若者は失敗を極度に恐れ、チャレンジして変容する生き方を遠ざけていた。
しかし、引きこもりの増加、不登校者の拡大が人々に危機感と気づきを与えたのだ。国会議員の裏金問題も気づきに役立った。
各種の制度(手段)が自己目的化され、本来の目的が置いておかれていた。
サイホンの原理を活用した灯油ポンプ(ドクター中松氏の醤油チュルチュル)は、液体の移し替えに効率と利便性をもたらしてくれる。
しかし、その仕組みを知らないままにそのシステム使うと、本来の目的を損ない灯油を溢してしまう。
学校というシステムの維持が子供の成長の本旨を超えた時、不登校という零れが発現した。
大人たちの善意が子供たちを生活の場から切り離して「学校へ閉じ込めた」のだ。社会性とは「個人の選択した生き方が社会全体と繋がっている実感」つまり生活実感をもたらすものでなければならないと思う。
そうやって地域の住民間(老若男女)に様々な「淡交する対話の場」が設けられ、連鎖感覚が醸成された。街を行きかう人々が「挨拶を交わす」関係に変容した。謂わば「人の育つ土壌が改良された」のだ。
年齢にかかわらず孤立する単身者が激減したし、街を行き交う人の表情が柔らかくなっって行った。サッカー協会理事の北澤豪さんが提唱していたが、人には居場所が最低三つ必要だという。
「家庭・学校(職場)・地域(交流の場)」の3か所に居場所があることが必須と気づいたのだ。
コロナ禍が教えたのは、人の繋がりの必須だった。そう、人が繋がる場づくりが家庭と学校や職場以外に必須だったのだ。
zoomが対話を促進したのは、未知の人々との交流機会の場づくりだった。
木曜対話を始めた人がいる。「ことばの焚火」を著し行動する人がいる。「関係案内所」を開設した人がいる。街歩きしながら路上のゴミを拾う人がいる。
そして或る哲学者が子供たちの今を憂いて、臨済宗寺院とコラボした「こども禅大学」を始動させ、悩める母親たちに交流する居場所を提供していた。
これに呼応するように現役消防士が国民に火災予防スキルと、居場所での不意の出火から身を守るためのスキルを身に着ける活動「one love」を拡散して子供たちへの啓蒙を促進していた。
社会の流れはハード側に「安全安心」を求め、バリアフリーを促進していた。
すると人は平坦でないところに行くと、躓いて転ぶ。
進路の障害を乗り越え又は回避するスキルを奪ってしまったからだ。
人々は、子供時代から危機管理能力、サバイバル能力を身に着けてリスクを減少させるスキルを身に着けることが、命を守ることだとやっと理解した。
さて、発災後は防災士の資格を持った高校生が基本3人で避難所を運営する。最初に既存のトイレを使用禁止として、屋外に設置した簡易トイレを運用する。一人の高校生には中学生が二人づつサポートする。
避難所となった施設の既存トイレには汲み置かれた色付きの水があり、上層階から順に便器に流される。要所要所に備えられた器具で流水音を聞き、その音質で分かる漏水箇所があれば、そのトイレは使えないし、色付きの水が天井から落ちてきても同様だ。
一番の大事は、住民がそれまでの各種訓練に積極的に参加し「顔見知りとなっていた」ことだった。これが一致団結の安心感を醸成する。
鎌倉市主宰の「防災リーダーオンライン研修」も知識の底上げに寄与した。
耐震基準に満たされず取り壊し予定だった
鎌倉市役所の跡地は「津波避難ビルを兼ねたホームセンター」が誘致され、巨大なローリングストックヤードの役割を担う防災品備蓄倉庫と広域避難所となっていた。各避難施設内の居住スペースには、タマゴの容器プラスチックをアップサイクルした断熱プラスチックハウスがプライベートスペースを提供していた。
遊休地となっていた梶原の「野村総合研究所跡地」は、重機オペレーターの教習施設となり、老朽化した建物は改装されて宿泊研修が出来る全国有数の
アミューズメントパークと化していた。
何故なら敷地内の研修は「ペダルやレバーに手足の届く子供たちにも受講資格があるからだ」
このオペレーター資格は男女差がなく、受講希望者が半年待ちという活況を呈していた。
また、平時の公道走行は別途運転免許が必要だが、発災時は特例法により免許を要しない施策が導入された。常に重機が備えられた施設である。
災害有事の際には、この上なく心強い防災拠点となる。
背負う「非常持出袋は邪魔になる」と分かってから、防災キャリーバッグを玄関に備えることとなっていた。キャリーバッグの方が背負うバッグよりも収納力が多く、重量も負担にならない。ハンドルには腕に通しておく、ショックコードを備えていた。
そんなことをつらつらと考えていると、再び大きな揺れが襲った。おそらくトラフの半割れが起こったのだろう。
すると何故か私は「ふッ」と気を失った。
目覚まし時計が鳴った。止めると午前7時だ。
そこには、いつもと変わらない自室の寝床の風景があった。
La Fin
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